東京から”移住”した”女子” に聞いてみた

2016/7/20

NPO法人「思いのほか」 代表 栗原里奈さん

大手企業を辞めた理由。

NPO法人代表。フリーランス。移住女子。地域プロデューサー。農家仲人。ツアーコーディネーター。農や食に関するイベントの企画から商品のプロデュース、はたまたフリーペーパーの編集まで、その肩書きをあげればきりがないほど、多方面からひっぱりだこの女性がいます。長岡人になって今年で4年目、栗原里奈さん(28歳)です。千葉県のご出身。都内の大手IT企業で働いていた彼女が、なぜ会社を辞めて現在のような活動をするようになったのか。その話は、ちょうど4年前にさかのぼります。

忘れもしない2011年3月11日。東日本大震災が起きた当時、栗原さんはまだ、いわゆる普通のOLでした。ファッションが大好きで、旅行が趣味。お金を出せば大抵の欲しいものは手に入る、便利な都会での生活を満喫していた栗原さんは、ある衝撃的な経験をします。交通機関がすべて麻痺し、都内のコンビニやスーパーから食料品や日用品があっという間に消えたあの日。お米を買い求めて長蛇の列に並んでいた栗原さんの目の前で、商品が品切れになってしまったのです。

震災後は「生きる力」を身につけるために、農業体験ができるツアーやイベントに積極的に参加していた。

震災後は「生きる力」を身につけるために、農業体験ができるツアーやイベントに積極的に参加していた。

 

お金があっても、買えないもの。

「お金を持っていてもごはんが食べられない。そんなことってあるんだと、呆然としましたね。今までの自分の価値観がすべて崩れ去ったような感覚でした」何不自由のない東京での生活、ずっと続くと信じて疑わなかった日常が、いかに脆く壊れやすいものだったか。本来、人間に備わっているはずの生きる力を、いかに奪っていたか。以来、「農」や「食」への関心が高まっていった栗原さん。それから半年も経たずして、縁あって六本木農園で働きはじめます。六本木農園とは、東京・六本木にお店を構える創作料理のレストラン。六本木農園では、全国の農家から届く新鮮な食材を扱い、美味しい料理を振る舞うだけでなく、生産者と消費者をつなぐイベントを毎月開催していました。ここでの栗原さんは、イベントの企画や運営を一手に引き受ける「農家仲人」。「生産者の顔が見えるってよく言いますよね。でも写真じゃ、思いは伝わらないんです。私が企画していた農家ライブでは、直接生産者の方に会って話を聞けるので、お客さんの反応も全然違いました」ストーリーを伝えることは、独自の価値になる。この気づきが、栗原さんの原点になっています。

 

生産地をめぐるツアーのコーディネートも行う栗原さん。写真は、川口・荒谷集落でのツアーにて。

生産地をめぐるツアーのコーディネートも行う栗原さん。写真は、川口・荒谷集落でのツアーにて。

集落に多い姓「宮」の文字がモチーフの野草茶、通称「ミヨ茶」。滋味豊かな野草の味わいが人気を呼んでいる。

集落に多い姓「宮」の文字がモチーフの野草茶、通称「ミヨ茶」。滋味豊かな野草の味わいが人気を呼んでいる。

 

パッケージの裏にあるストーリー。

長岡市川口地域の山間にある荒谷集落。ここから新たなブランド商品「ミヨ茶」が生まれたのは数年前のこと。結婚を機に長岡に移住していた栗原さんに、パッケージリニューアルの話が舞い込んできました。「ミヨ茶」とは、山に自生している「かきどおし」「ドクダミ」を干してつくったミヨさん自家製のお茶。ミヨさんの姓であり、集落の大半の姓でもある「宮」の文字をロゴにあしらったパッケージが完成しました。「それまでのパッケージは、シールを貼る作業があったので、高齢のミヨさんには負担になっていたんです。今回は、シールを使わず風合いのある紙を巻き付ける仕立て。これならミヨさんも作りやすいと思ったんです」こだわりのポイントは、パッケージの裏に書かれたミヨ茶が生まれるまでのストーリー。「こんなに大切につくられたものなんだと知ってもらって、味わいながら飲んでほしいと思っています」。パッケージリニューアル後の売れ行きは好調。地元の新聞にも取り上げられ、首都圏からも注文が入るほど。ミヨ茶のストーリーは、荒谷から各地に広がっています。

六本木農園の農家ライブで、「ミヨ茶」を紹介する様子。瞬く間に完売し、イベントは大盛況だった。

六本木農園の農家ライブで、「ミヨ茶」を紹介する様子。瞬く間に完売し、イベントは大盛況だった。

移住の理由は、みな同じ。「長岡の人の、生きる力のたくましさに惹かれた」とのこと。

移住の理由は、みな同じ。「長岡の人の、生きる力のたくましさに惹かれた」とのこと。

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