聴覚障害の子どもたちを迎える社会に足りないものは? 長岡聾(ろう)学校で考える、共生の手がかり
あのヘレン・ケラーも来ていた!
明治38年開校の歴史ある学び舎
JR長岡駅から徒歩20分ほど、信濃川に近い住宅地にある新潟県立長岡聾学校。1905年3月に「私立長岡盲唖学校」として開校し、当時は聴覚障害のある子どもたちと視覚障害のある子どもたちの学舎でした。1922年4月に県立となり、1937年6月にはヘレン・ケラーが来校したという記録も。その後、1945年3月に盲学校が廃止され、同年8月に戦災で校舎と寄宿舎が消失。戦後3年が経った1948年に現在の名称となり、現在は幼稚部、小学部、中学部、高等部に分かれ、約60人の児童・生徒が学んでいます。
まず、校長の生方清司さんに学校のアウトラインを伺います。長岡市立高等総合支援学校で教頭を務めた経験もある生方先生は、障害のある子どもたちの教育に長年にわたり携わってきました。
「聴覚障害のある子どもたちの学校は県内に2つ、本校以外には新潟市に県立新潟よつば学園があります。最近は補聴器の性能が良くなり、人工内耳も普及してきたので、手話を使わない教育をする学校もありますが、長岡聾学校にはまったく聞こえない子も、少しだけ聞こえる子もいて、一人ひとり違いますから、手話を大切なコミュニケーションツールととらえ、手話教育に力を入れています」
生まれながらに聴覚になんらかの障害のある赤ちゃんは、1000人に1、2人といわれます。長岡聾学校には「子どものきこえ相談室」があり、0歳児から相談に応じながら、聴覚障害のある地域の子どもと保護者を広く支援するセンターの役割を担っています。
「新生児スクリーニング検査というものがあり、生まれたばかりの赤ちゃんの聴覚に問題があると、すぐにこちらに紹介されます。幼稚部は3歳からですが、その前の教室は0歳児から。そして小学部、中学部があって、高等部は卒業後の進路も見据えて知識と技能を身につける産業技術科の中でコースが分かれていて、高等部のみ、知的障害の子どもたちも一緒に学んでいます」
生徒数約60人に対して教職員数は約90人。クラスは少人数で、一人ひとりへの目配り・心配りが行き届いています。
「通常の学校より、教員の人数は多いですね。2024年3月時点で1クラスの子どもの数は最大6人。教員が1人か2人つきますから、そこは手厚いと思います。学校のグランドデザインとしては、考える力、協力する力、健康を維持する力、そして人と関わる力の4つを大切にしていて、子どもたちの自立に向けて力を注いでいます」
「合理的配慮」義務化と
聾学校の教える「自立」
特に聾学校が重視しているのは、卒業後の子どもたちが社会と関わり、自立した暮らしを営んでいくために必要な力を養う「自立活動」。この授業では、どのように指導しているのでしょう。
「4月に法律が変わり、これまで努力義務だった障害者への『合理的配慮』の提供が民間事業者に義務化されました。聾学校の子どもたちには、自分からそうした配慮を求めましょうと伝えています」
「合理的配慮」とは、以前は主に雇用主などに求められた、障害のある人とそうでない人の機会や待遇を平等に確保し、支障となっている事情を改善、調整するための措置のこと。職場のバリアフリー化を進める、特性に応じた勤務や休憩の形態を調整するといったことが求められました。それが2024年4月の法改正で拡大し、店舗などのサービス利用者に対しても、障害の有無で受けられるサービスの質が変化しないよう、物理的環境やコミュニケーションなどを工夫していくことが義務化されたのです。
「例えば『私は聴覚障害があるから手話でお願いします』『筆談でいいですか』『UDトーク(文字起こしアプリ)を使って話し言葉を文字にしてください』など、自分から発信していくことも重要です。知的障害の子どもたちなら『理解が難しいので、指示は簡単なものにしてください』といった表明をすることで、それぞれの力が発揮できるようになります」(生方先生)
長岡聾学校では、長岡市及び近隣の市町村の学校に在籍する聴覚障害の子どもたちへの通級指導(障害に応じた特別な指導)も行っていて、そこでも同様に伝えているとのこと。
「通級指導担当の先生も、新しい学校に入学したときには『こういう特性があるからこうしてください』って、お願いするんだよと子どもたちに言っています。相手に伝える努力をすること、コミュニケーションが大事だよと」(生方先生)
今年の高等部の卒業生8人は大学や専門学校に進学したり、企業に就職したり、進路はさまざま。また、自ら希望して一般の小・中学校や高校に進学する子もいます。子どもたちが早く新しい環境になじめるように、聾学校としても必要に応じて次の学校や職場に引き継ぎをしてサポートしているそうです。
さて、実際の現場では、一体どのような授業をしているのでしょう。小学部の教室を見学させていただきました。
子どもたちの視線を釘付け!
先生が工夫を凝らす楽しい授業
小学5年生の教室にやってきました。静かな授業をイメージしていましたが、教室には子どもたちの明るい笑い声があふれています。小学部教諭の塚原和俊さんが3人の児童に算数を教えている授業風景を写真で紹介します。
聾学校で学んでいるのは、まったく聞こえない子どもだけではありません。聴力レベルはそれぞれ異なり、個々のレベルや理解度に応じて手話と指文字、口型(口の形)を駆使してわかりやすく教えています。先生をしっかり見て、豊かな表情と体全体を使ったダイナミックな表現に、思わず「あはは!」と吹き出す子どもたち。楽しい授業で笑い声が絶えません。
「これからプリントを配ります」と先生。ご自身にも聴覚障害がありますが、手話を使いながらゆっくり発音し、板書し、「底面に黄色を塗ってください」と伝えます。
一般の小学校から聾学校に転入し、みるみる手話を覚えて、先生や友だちとコミュニケーションができるようになった子もいるそうです。少人数のクラスだからか、先生と子どもたちの距離が近く、教室には親密な空気が漂っていました。
次は先生方にお話を伺います。小学部、中学部、高等部から1人ずつ、ご自身も聴覚障害のある3人の先生が取材に協力してくれました。
技術の進歩で選択肢が増え
「なりたい自分」になれる時代
ひとり目は中学部教諭の加賀充さんです。まず、加賀先生が聾学校の教員を志した経緯から。
「大学3年生のときに、聾の子どもたちを支援する活動に参加しました。すると、普通の学校に通っている聾の子どもたちが、聞こえる友だちとのコミュニケーションに悩んでいるケースが多かったんです。私自身、普通の学校に通って同じような経験をしてきたので、当事者としてアドバイスできることがあるかもしれないなと思いました。私の経験を伝えて聾の子どもたちのサポートをしたい、そのために学校の先生になろうと決めました」
「子どものころからバレーボールをやっていたのですが、チームメンバーの会話が聞こえずに孤立することが多くて。どうやったら仲間に入れるのかわからず、寂しい思いもしました。だから、聾の子どもたちの気持ちはよくわかります。大人になってからも、たとえばコンビニで買い物をするときに、『レジ袋は必要ですか?』と訊かれてもわからず、目を逸らしていると気付かないこともあって。無視されていると勘違いした店員さんが怒ってしまったこともあります。最近は必要なものを指し示すシートを設置している店が増え、買い物がスムーズになりました」
新型コロナウイルス感染症のパンデミックの際にはマスクで口型が読み取れず、相手の表情がわからないことで苦労もあったそうです。
「『感染するからマスクを外すのは嫌だ』という子もいて、口型がわかるように透明なフェイスシールドを使ったこともありました。やっとマスクが外せて、みんなストレスから解放されましたよ。聞こえない子は表情やジェスチャーで伝えることが多いですから。私もそうです。口下手なので(笑)」
表情やジェスチャーのほか、生徒たちに注目してもらう方法として、照明を点滅させることもあるのだとか。
「中学部の生徒が13人いるのですが、会議などで一斉に話し出すと、こっちを向いてくれないこともあります。そんなときは、照明をパチパチと点滅させます。体育館などでは足をドンドンと踏み鳴らし、振動を伝えて注意を引きます。聞こえない世界での工夫というか、聾の文化ですね」
聴覚障害のある人が手話でコミュニケーションをするドラマや映画がヒットして話題になることも多々ありますが、加賀先生もよく見ているそうです。
「やっぱり表情が大切なんだなとか、ドラマを見ながら気付くことがあって、勉強になるんですよ。『Coda コーダ あいのうた』というアメリカ映画がありましたが、長岡聾学校にもコーダ(注:Children of Deaf Adultsの略。聾の親を持つ聞こえる子ども)の先生が2人います。この学校には聾の先生もいるし、コーダの先生もいるし、聞こえる先生もいて、三者三様で楽しいですよ。聴力にはかなり個人差があり、重度の人は手話を使うし、人工内耳を使って少し聞こえて声が出せる人もいます。生徒もそれぞれですから、声なしで伝えたり、声と手話で伝えたりと、コミュニケーションを使い分けています。聾学校は専門性が高い職場ですから、聾のことを知らない先生が入られると少し大変かもしれません。手話がわからない先生に生徒が教えてあげることもあります。手話を習得するには、子どもたちとのおしゃべりがいちばん早い方法ですから」
いちばん楽しいと思う瞬間、仕事のやりがいについて訊いてみると、こんな答えが。
「聞こえない人が仕事をするのは難しい面もありますが、がんばって働いている聾の友人がたくさんいて、そういう話を生徒にしてあげると、とても喜びます。『そうなんだ!知らなかった〜。自分もがんばろう』って。話をもっと聞きたいと言ってくれますし、そんな様子を見ると私もうれしいです」
また、加賀先生はテクノロジーの進化により時代が変わってきたことを感じているとのこと。
「人工内耳を使っている友人もいるのですが、性能のいい機器のおかげで職業選択の幅が増えました。たとえば医師や薬剤師など、情報がきちんと聞き取れないと難しい仕事にも就けるようになって。私の生徒の中にも、医療系の仕事を志望している子がいますよ。コミュニケーションに不安を抱えていても、聞こえないけれど筆談はできるとか、手話はできるとか、さまざまな形でやりたい仕事に就けるのだということを子どもたちに伝えています」
聾学校の先生たちは、これから社会に出る子どもたちを勇気づけ、そっと背中を押しています。社会に出た子どもたちに関わる人たちに、どんなことを望んでいるでしょう。
「聞こえる人たちに『ゆっくり話してください』とか『マスクを外してください』とか、こちらから言いづらいこともあります。この人は聞こえない人かなと気付いたら、さりげなくマスクを外してくださるとか、優しい表情や笑顔があると気持ちが楽になりますし、些細なことでもとてもうれしいです。『情報保障』(注:必要な情報に誰もがアクセスできること)を増やしていただけるとありがたいですね」
デフバレー日本代表選手でもある加賀先生。4年に一度世界規模で開催される聴覚障害者のスポーツの国際大会「デフリンピック」に2013年のブルガリア大会から2022年のブラジル大会まで毎回出場しています。2024年6月に沖縄県豊見城市で開催される「デフバレー世界選手権」にも出場されるとのこと。2025年11月には東京で「デフリンピック」が日本では初めて開催され、約80の国・地域から約3000人の選手が集います。興味のある人はチェックして応援を!
2022年の「デフリンピック」ブラジル大会に向けて加賀先生が手話で応援を呼びかけた動画があるので、ぜひご覧ください。
[参考動画]
新潟県聴覚障害者協会:デフリンピックを応援しよう!
「もっと知って、もっと活用してほしい」
まちと生きるための学校を目指して
先ほど授業を見せてくれた小学部の塚原先生と、高等部の二瓶智先生も駆けつけてくれました。おふたりそれぞれの、現在に至る経歴と経験について語っていただきます。
二瓶 私は新潟よつば学園の前身である新潟聾学校で学び、幼稚部から高等部まで通いました。聾者の先生はひとりだけで、ほかは聞こえる方でした。手話ができる先生もいましたが、手話で学ぶ機会がとても少なかったんです。手話による専門的な学びを子どもたちに指導できたらいいなと思って、教員を目指しました。先輩である塚原先生が聾学校の教諭になったと知り、私も教員免許を取りたいと思って試験を受けたんです。
塚原 私が新潟聾学校の小学部6年生だったときに二瓶先生は2年生で、かわいかったんですよ(笑)。一緒に遊んだことを覚えています。私がピカピカの1年生教員として長岡聾学校に着任した2年後に、二瓶先生がやってきました。
二瓶 塚原先生は先輩ですからね。ここで一緒に働けて本当に心強く思っています。
塚原 またまた〜(笑)。
塚原 私は新任で長岡聾学校に来て、小学部と中学部で教えた経験があります。子どもたちは一人ひとり違っていても「聞こえない」という共通点があるので、手話で「見てわかる」授業を目指しています。大事なのはわかりやすく教えること、その子に合った教え方をすること。「私を見ればわかるよ、見てないとわからないよ」って。それを積み重ねていますから、「先生を見ていれば必ずわかるんだ」と、子どもたちはよく理解しています。子どもたちの「わかった!」「そうか!」という表情が見えたとき、それがいちばんうれしい瞬間です。
二瓶 私は高等部で体育を教えていますが、大きい子たちはそういう表情はしませんね(笑)。高等部は学校の出口のようなところですが、社会に出るとわからないことがたくさんあると思います。マナーとか、言葉の使い方とか。長い間この聾学校にいた子どもたちですから、「聞こえる世界」がわからないんです。「自立活動」という授業で、「もし、こういうことがあったらどうする?」とさまざまな場面について考えさせます。たとえば「電車が遅れて予定時刻になっても来なかったら?」「エレベーターに閉じ込められたら?」など、想定されるアクシデントについて考えるわけですが、私が話しても「へ〜」で終わってしまうことも……(笑)。自分のことではない感じがするのでしょうね。私の経験を伝えていくことがとても大事だと感じています。できるところまで準備してあげて、少しでも社会で自立できる、生活できる力を育てたいです。それが身についてきたなと実感したときに、やりがいを感じます。
塚原 社会は聞こえる人たちがほとんどであり、手話ができる人も非常に少ない環境です。「聞こえない人」ってどういう人なんだろうといった理解も難しい。なぜなら聴覚障害は「見えない障害」なんです。聾者は見た目ではわからないから、なかなか理解が進まないのではないかと思います。子どもたちが社会に出ると、必ずそういう壁にぶつかります。いじめではなく、どんな障害かわからないのでコミュニケーション方法がわからないという、ただそれだけのことなのですが。社会に出た子どもたちが「自分は聞こえないので、こうしてコミュニケーションを取ってください」ということを自分で説明できる力、生きる力をつけてもらいたい。それが教員みんなの願いです。長岡市に聾学校があるということは大きなことですから、市民のみなさんには、ぜひ聾学校をもっと知って、もっと使っていただきたいですね。学校同士の交流もそうですし、手話を教えに来てほしいというリクエストとか、運動会や文化祭を見に来ていただくのもうれしいです。
お会いした3人の先生がそれぞれチャーミングで明るく、日々の困難も少なくないであろう子どもたちにとっては「こんな大人になりたい」と思える素晴らしい実例なのではと感じました。そんな存在が身近にいることが、子どもたちがポジティブな未来を切り拓き、社会の中でたくましく生き抜く力となるはずです。
「塚原先生や二瓶先生が中心となって『手話サロン』を開いていて、新任の教職員を対象に『手話で自己紹介』『行事に関する手話』などのテーマにそって教えてくれる体験講座なのですが、私もそこで学んでいるんです」と教えてくれたのは、取材のアテンドをしてくれた教頭の三村陽子先生。「聞こえない先生たちに込み入った話を手話で伝えるのがなかなか難しいので、そういうときは筆談とか、いろいろな方法を使って教職員同士すれ違いがないように努めています」。聞こえる人と聞こえない人の入り混じった職場環境で、いかにコミュニケーション格差が出ないようにするか、これからの時代にすべての人が考えるべきことの好例がここにあります。
長岡聾学校は他校との交流にも熱心です。小学部の子どもたちが近隣の中島小学校のプールを借りて一緒に泳いだり、中学部の子どもたちが東中学校に行ってお互いの学校紹介やレクリエーションをしたり、高等部の子どもたちが市内の長岡大手高校や栃尾高校に行って、自分の聞こえについて紹介し、ゲームをしたり、手話ソングを教えたり。コロナ禍の前は新潟大学手話サークルの学生たちとの交流もあり、現在はリモートで行っているとのこと。在学中から外の世界との関わりをつくり、自立のための力を育んでいます。
「幼稚部や小学部の低学年くらいだと、手話が通じなくてもジェスチャーを使って、子ども同士すぐに仲良くなりますね。中島小学校との交流を見ていても感じますが、小さい子たちには壁がありません」(三村先生)
法改正などによって社会は少しずつ変化していますが、はたして人の心はどうでしょうか。障害者に限らず、少数者が声をあげた途端に叩かれる光景を見かけますが、少数者の困難を是正することが多数者の不利益になるということは一切ないはず。すべての人が快適に生きられる社会であるほうが、全体の利益となることには疑いの余地がありません。
聾学校では子どもたち自ら特性を伝え、配慮を依頼するよう教育しているとのことでしたが、実際にはそれが容易でないケースも多々あるでしょう。「法律で義務化されたから」でなく、誰もが当たり前に他者への心配りができる社会であれば、子どもたちはどこに行っても自分の特性を重荷だと思うことなく活躍できるはず。聾学校のある長岡から、自分から、まちの空気と風景を変えていきたい。そう感じた取材でした。
すべては、普段は意識できていない存在を見て理解することから始まります。文化祭など、一般に開かれている行事のときに、ぜひ長岡聾学校に足を運んでみてください。また、長岡聾学校の卒業生が切り盛りするカフェが2024年5月にオープンします。「な!ナガオカ」でも取材をしています。
なお、今回の取材では長岡市福祉課の紹介で同行してくれた手話通訳者を介して、聴覚障害のある先生方と会話をすることができました。手話通訳が必要な人は、下記を参照して申し込みをしてください。
[参考サイト]
長岡市:意思疎通支援者(手話通訳・要約筆記) の派遣
https://www.city.nagaoka.niigata.jp/fukushi/cate03/sintai/shuwa.html
Text: 松丸亜希子 / Photo: 池戸煕邦
新潟県立長岡聾学校
住 所
新潟県長岡市水道町2-1-13
電話番号
0258-32-1007
school@nagaokarou.nein.ed.jp
イベント
2024年5月25日(土)創立120周年記念運動会(雨の場合は28日に延期)、10月26日(土)創立120周年記念文化祭 ※どちらも一般市民に開かれたイベントです
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