応募ゼロからのスタート。

イナカレッジ事務局が担うのは、集客やプログラムの内容づくり、メンバーや受け入れ先のフォローなど運営に関わるすべての業務。立ち上げ時、もっとも苦労したのは集客の部分でした。今でこそ、定員が埋まるまでになりましたが、はじめはまったく応募が集まらず、なかなか定員に満たない時期が続きました。「応募ゼロが続いたときは大変でした。でもゼロをイチにしていく、その過程がいちばん面白いと思うんです」。スポーツでも弱いチームを応援したくなるタイプ。曰く「はじめからメジャーなものには、あまり惹かれない」。まだメインストリームになっていない小さな種を拾い上げて、育てていくことに喜びを感じるのだそう。イナカレッジの活動は、まさに日野さん自身がやりたいことに直結していると言います。「大学時代から、ムラでフィールドワークをしていたんです。そこから町づくりや町起こしに興味を持つようになりました」。

インターンシップの応募を募るイナカレッジのWEBサイト。田舎暮らしの魅力を伝える記事を配信している。

インターンシップの応募を募るイナカレッジのWEBサイト。田舎暮らしの魅力を伝える記事を配信している。

長岡震災アーカイブセンター「きおくみらい」。ここにイナカレッジの事務局がある。

長岡震災アーカイブセンター「きおくみらい」。ここにイナカレッジの事務局がある。

 

消える集落を、救え。

イナカレッジの、もう一つの大きな目的。それは、交流人口を増やすこと。「このまま何の手も打たなければ、消えてしまう集落もあるんです」。「移住してくれなくてもいい。でも、少しでも興味を持って、ムラに来てくれる人が増えるといいと思っています」。新潟県中越地震後に、ムラを出て行った人も多く、集落の高齢化も進んでいます。実際にいくつもの集落をたずねていた日野さん。ある時、耳を疑うような声を聞きました。「あるおじいちゃんが、地震は大変だったけど、起きてよかったのかもしれないって言ったんですよ」。地震が起きたことで、たくさんのボランティアの人がムラに来てくれたこと。そこから新たな交流が生まれたこと。「地震を経験したことで、それぞれの集落の受け入れの力が強まったんです」。一般的に、ムラ社会というと閉鎖的なイメージを持たれてしまいがちですが、長岡の中山間地域には、人を受け入れる器がすでにできています。「この強みを活かせば、もっともっとできることがあると思うんです」。

センターには、震災の記憶を風化させないために当時の様子を記録した写真が多数展示されている。

センターには、震災の記憶を風化させないために当時の様子を記録した写真が多数展示されている。

iPadを片手に地図上を歩くと、エリアごとの被害の様子がわかる震災MAP。

iPadを片手に地図上を歩くと、エリアごとの被害の様子がわかる震災MAP。

 

雇用ではなく、価値観をつくる。

発足して3年。イナカレッジの取り組みが少しずつ軌道に乗り始めた今、日野さんが考えているのは新しい価値観をつくること。移住する人を増やすためには、当然、新たな雇用をつくることが必要になります。「でも、それは既存の価値観ですよね。会社に縛られない生き方を選ぶ人も増えている時代。雇用をつくるよりも、新しい価値観を発信していかなければいけないと思うんです」。多くの人が農業を営んでいた時代は、いわば全員が自営業。産業が発展するにつれて、会社が生まれて、雇用する側、される側の立場が生まれていきました。「その価値観も、今崩れつつあると思うんです。一つの仕事に絞らずに、いろんな仕事を組み合わせる働き方があったっていい。たとえば、農作業の手伝いをしながらフリーランスでライターの仕事、デザインの仕事を受けたっていい」。日野さんの言う“新しい価値観”には、イナカレッジがさらに飛躍するヒントがつまっています。

 

イナカレッジ 日野正基さんの志

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長岡の可能性を広げる。

長岡は、タレントがすごく多い場所だと思っています。土地の魅力、人の魅力、まだ知られていない“タレント”を掘り起こし、長岡の魅力を発信していくことが、僕たちの役目だと思うんです。“タレント”を輝かせて、長岡のいろんな可能性を引き出せるようになりたいと思っています。

(イナカレッジ事務局 日野正基)

※この記事は2015年7月に作成いたしました

 

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