地域の文化を生かした生ハムをーー熟成肉の名手が語る「雪国ならでは」の製法とは

2018.3.8

東京・目黒区でジビエや熟成肉を中心としたレストラン「ラ・ブーシェリー・デュ・ブッパ」とシャルキュトリー(加工食肉)のテイクアウト専門店「フレンチデリカテッセンカミヤ」の2店舗を経営する神谷英生シェフ。ジビエの名シェフと評判も高い神谷シェフは、新潟県長岡市の川口地域で生ハム作りを体験できるイベントを行っている。

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ジビエのシェフとして、雪国・川口の自然から得られる食の魅力とは。生ハム塾でやろうとしている雪室での熟成とは何か。そして、その先に見据えるものとは。

2018年1月に実施された「越後川口生ハム塾」の会場にて、ご本人にお話を伺った。

 

狩猟文化の残る地域ならではの協力体制

信濃川と魚野川が合流する地点に位置する、長岡市川口地域。日ごろは水と緑豊かなこの地域も、取材に訪れた1月は深い雪に覆われていた。

「3年だよ、3年!やっぱそれくらいかかるもんだなあ」

川口農産物加工所の1室に、活力みなぎる男性の声が響き渡る。

声の主は、神谷英生(かみやひでお)氏。「熟成肉の名手」との呼び声も高い氏の経営するジビエのレストランの店名は、

「ラ・ブーシェリー・デュ・ブッパ(La Boucherie du Buppa)」。

フランス語の店名を直訳すると「鉄砲撃ちの肉屋」である。

その名が示す通り、オーナーシェフである神谷氏自身も積極的に狩猟、食肉加工の現場に出かける。最高の食材を妥協なく選ぶとともに、食肉加工から調理までの一連の流れすべてにこだわり抜く、食に対する真摯な姿勢を支持する人は多い。

神谷英生氏。新潟県糸魚川市出身。新潟県内の高校を卒業後、1986年、新潟のフレンチ「マプペイーヴル」、1991年、六本木「住友迎賓館」を経て1997年からは東宝グループの総料理長をつとめ、数々のパーティで指揮をとる。一方でヨーロッパ、アジア各国で料理修行を積む。2004年、中目黒に「トロワピエロ(現・ラ・ブーシェリー・デュ・ブッパ)」オープン、2011年。池尻大橋に「フレンチデリカテッセンカミヤ」オープン。

時間さえあれば、全国各地、文字通り津々浦々を駆け回る神谷氏。生産者と対話するとともに、様々な催しを行なっている。

「越後川口生ハム塾」もそのひとつだ。2018年で3年目を迎えたこのプロジェクトの特徴は、参加者がそれぞれ、いわゆる「原木」と呼ばれる骨つきもも肉を購入し、自らの手で仕込みを行なっていくところ。新潟県産のブランド肉を使用し、「雪室」で熟成を行っていく。添加物は一切使わず、雪の力で生ハムを作り上げるというものだ。

2016年10月のイベントでの神谷シェフ(写真左)と越後川口生ハム塾発起人・代表の春日惇也氏(写真中央)。写真提供:越後川口生ハム塾

主催者である越後川口生ハム塾代表の春日惇也氏は「スタートは川口でジビエ料理を作りたい、という思いからだった」と語る。

長岡市川口地域は、大部分が山間部に位置し、豊かな里山がひろがり、古くから狩猟文化が受け継がれてきた土地だ。しかし、近年では担い手不足などの理由で、技術や文化の継承が難しくなっている。

「野生動物との共存、狩猟文化の継承を考え、捕獲した獣肉を無駄にせず、地域で利活用できないか」と考え、行き着いた先が「ジビエ」だった。

「ジビエの第一人者に話を聞きに行こう」そう思い立った春日氏は、早速、東京の神谷シェフの元を訪れた。話を聞いた神谷氏は、新潟は同郷でもあり、中越地震の被災地だった川口で、何か自分が少しでも出来る事があるのではないかという思いから、さっそく検討に入った。しかし、コストや協力体制構築など、まだまだ川口でジビエ料理を作るためのハードルは高かった。

あらためて土地の特性や環境を調べて回った結果、「まずは川口で生ハムを作ってみては」との神谷氏の提案から、越後川口生ハム塾はスタートした。

 

「豚どころ」新潟ならではの生ハムづくり

生ハムは、フランス、イタリア、スペインをはじめ、西欧諸国を中心に発展してきた加工食品。豚肉に塩分を加え、その調整により菌類の繁殖を抑えたり、肉の硬さや味を整えていく。古代ローマ帝国の時代から親しまれてきた、ヨーロッパでは大変歴史の長い食品である。

それをなぜ長岡で作るのだろうか。

「新潟県は、全国有数の『豚どころ』でもあります。今回のイベントで使っている豚肉(越後もち豚、妻有ポーク、佐渡黒豚の三種類)は、様々な料理に使われる、素晴らしい食材です。そのままでも美味しいのはもちろん、低温管理することで、脂の口溶け感をさらに引き出すことができるんです」と神谷氏。

「生ハムづくりにおける最も重要な要素のひとつである低温管理を、雪国特有の雪室で行うことによって、長岡という地域ならではの生ハムを追求しようと思ったんです」(神谷氏)

国内有数の豪雪地帯である新潟県には、降り積もった膨大な量の雪が、春を過ぎても溶けずに残る。これを利用したのが雪室だ。いわば、天然の冷蔵庫である。

除雪機を使用し、雪室内に雪を投入しているところ。

古くは日本書紀でその存在が確認できるという雪室。野菜の保存等に用いられるなど、生活と食文化に深く根付いてきた。

雪どころと豚どころ。

この新旧ふたつの長所を掛け合わせ、唯一無二の生ハムとして形にしていくのだ。

 

生ハムづくりは、ものづくり

今回のイベントは、生ハムづくりの第一段階である「血抜き・塩揉み」を、神谷シェフが教えてくれるという内容だ。

会場には、熟成開始2年目になる生ハムの原木が持ち込まれていた。これは、プロジェクトがスタートして最初期に仕込まれたものだ。

筆者もひと口、試食をさせていただいたが、口に入れた途端、脂身が舌に溶けるような感覚と、凝縮された旨み、ナチュラルな塩気がじわりと伝わってくる。

神谷氏にその仕上がりを伺うと、「よく仕上がってきていますね。川口は空気と水が抜群に良いですから」という答えが返ってきた。

しかし、一呼吸置いて、気になる一言を続ける。

「…上品すぎるな」

「もっとこう…個性を出していかないといけないんだよな。もう少し…ほんとにもう少しだ」

生ハムの熟成は、今回の「生ハム塾」で行う血抜き・塩揉みからはじまり、塩漬け、塩抜き、乾燥など、大きく分けて7つのステップで進んでいく。

その一連の流れを行うにあたっては、環境が極めて大事なのだ。

「血抜き」と呼ばれる行程。

原木1本につき約6kgもの塩を使用し、力を入れて揉みこんでいく。

「空気、水、湿度といった自然環境が極めて大事です。たとえば、東京のど真ん中で行うこともできますが、生ハムの表面にびっしりと黒いカビができたりするんです。川口のような綺麗な自然環境で行えば、自然の力に合わせた管理を行うことで、とても良い状態に仕上がるんです」

雪室に閉じ込めておけば勝手に美味しい生ハムが出来上がるかといえば、そう単純なものではないのだという。

「一定の低温を保つことはもちろん、菌のコントロールをしないといけない。良い菌のみを付着させて、いかに余計なものを排除していくかの勝負なんです。雪室で熟成というと、放ったらかしみたいなイメージを持たれがちですが、まったく違う。コントロールが必須なんです」と神谷氏。

雪室内で熟成中の生ハム。温度、湿度は計器で正確に管理され、送風機から送られる風の当たり方、保管の角度などが厳密に調整されている。

「生ハムづくりは、ものづくりだと思った方がいい。勝手に出来上がるものではなく、緻密に作り上げるものなんです」

川口で仕込まれ、熟成後2年以上が経過した生ハム。表面がアミノ酸で白くなってくる

裏面には、まるでコーティングされたかのような脂肪分が。赤身の鮮度を保つ「フタ」のような役割もあるという。

「熟成を開始して18ヶ月から20ヶ月くらいで、大体の仕上がりはわかってくるんです。さらに緻密な調整を行い、熟成を進めることで、個性が生まれる可能性は高い。美味いというのは当たり前ですからね。後に引く余韻のある、キャラクターが必要です」

繊細な作業を繰り返し繰り返し行い、試行錯誤を重ね、完璧を追求していく。その先にあるのが、「川口の生ハム」の個性になる。

そして、その過程は、試行錯誤も含めてひとつのストーリーになっていく。

 

ストーリー性と、たしかな味の両立

神谷氏は、東京・目黒区に構える2店舗だけでなく、新宿伊勢丹など都内の百貨店でも生ハムをはじめとするシャルキュトリーの提供を行なっている。そうした店舗に自ら立ち、商品を購入するお客様の反応を見ることも大切にしているという。味がよいことは大前提だが、「たしかなものを食べたい」という意識のある消費者が増えている昨今、味だけでは購買には結びつきにくい。

「そうした方たちに満足していただけるものというのは、単に美味しいのは言うまでもなく、ストーリー性のしっかりとしたものでなくてはいけないんです。雪室で熟成している、=じゃあ美味しいよね、というのも、愛好家にとっては当たり前。だからこそ、余韻の残る、キャラクターの強い生ハムを作らないと、絶対に満足していただけないと思うんです」

日々、舌の肥えた愛好家の目に晒される中、ダイレクトに消費者の反応を見ながら、その深いニーズを読み取り、生ハムやシャルキュトリーづくりを研鑽してきた神谷シェフの目標は高い。

「美味しいと思っていただけるのは当たり前。その先を極めたいと常に思っています」

 

オープン化によって作り手を増やす

「ここまで聞いちゃって大丈夫なんでしょうか」

生ハム塾の開催中、何人かの参加者が、異口同音にそう呟いていた。なにせテーブルからテーブルへ。惜しげもなく、積み重ねてきた生ハムづくりのイロハを伝授して歩き回るのだ。

各テーブルをくまなく回り、参加者と話しあう神谷氏。

こうした「情報のオープン化」も、神谷氏の意図するところだった。

「そもそも、企業秘密にするというのが私にはよくわからないんですよね。どんどんオープンにしていかないと、何も広がらないと思うんです」

事実、神谷シェフはイベントのスタート時、開口一番に「企業秘密は一切無しですから、なんでも遠慮なく聞いてくださいよ!」と宣言していた。

「僕がいつも参考にしているのは、ワイン醸造家の方たちの姿勢なんです。世界的に活躍しているワイン醸造家たちというのは、自分のワインのことをぜんぶオープンにしている。それは、食文化の発展にとても良いことだと思うんです」

たとえば、ワインにはどのような料理が合うのかをより正確に知るためには、情報がオープンであればあるほど良い、という見方もできるのだ。

神谷氏自ら生ハムのカットを行い、各参加者のもとへ。

情報のオープンソース化をすすめることで、関係者の意識の変化も感じているという。

「手応えは感じています。少しずつ、着実にですが、地域の方たちの意識も変わってきたのではないかと。情報を得ることで、『あ、自分でもできそうだな』と思ってもらうきっかけになったり。それって、非常に大きいことですよね」

さらに、オープンであることを心がけていると、とくに若い人たちにより面白さを知ってもらいやすくなる、と神谷氏は話す。

「今回、中学生の参加者さんがいましたが、彼らにもっと深く、生ハムづくりの楽しさ、やりがいを知ってもらいたいんです。それには、包み隠さず正直に伝えることが大切だと思うんですよね」

 

「地域の生ハムづくり」の、その先へ

3年に渡り、じっくりと腰を据え、長岡・川口独自の生ハムを作り上げることに力を注いできた神谷氏。

「最終的には、川口にフランスやイタリアの文化が根付く、というのが理想」と話す。

単なる商品開発にとどまらず、文化そのものを根付かせる。そうすることで、一過性の盛り上がりではなく、新しい「川口の文化」としてしっかりと定着してほしいという願いがある。

「まずは、川口で完璧な熟成肉を仕上げること。それがかなえば、生産者さんの意識も変わってくるし、新しいことを始める人も出てくると思うんです。牧場を作る人、加工場を始める人なども出てくるかもしれない。食文化としても定着して、盛り上がってくると思うんですね」

川口独自の熟成肉が完成したとしても、そこで終わりではない。神谷氏は、遥かその先を見据える。

2017年4月の生ハム完成お渡し会での一コマ。写真提供:越後川口生ハム塾

 

 

Text and Photos: Junpei Takeya

 

越後川口生ハム塾
[HP]http://hamschool.yamakawasun.com/

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