新潟から赤ヘルを見つめて25年、広島出身のお好み焼き店主が語る「カープ愛」
広島東洋カープが優勝を飾ったのも記憶に新しい、2016年のプロ野球セ・リーグペナントレース。広島のリーグ優勝は1991年以来、実に25年ぶりのこと。しかも、2位・巨人とは17.5ものゲーム差をつけての、圧倒的な優勝だった。優勝が決定的となった9月には、カープファンの盛り上がりは最高潮に達していた。
「若い選手を育て、強いチームに果敢に挑む」というチームの方針は、カープの本拠地・広島のみならず他球団のファンをも虜にし、「カープ女子」という言葉が生まれるなど、日本全国に広がりを見せている。
遠く離れた新潟県長岡市にも、赤いユニフォームに身を包んだファンが集まる場所がある。JR長岡駅からほど近い場所にある「お好み焼き 中しま」だ。
店主の中島康行さんは、広島県の出身。60年来、生粋のカープファンである。「中しま」は本格的な広島風お好み焼きのお店。カープファンの集まる場になっているのは理解できるが、そもそも、なぜ長岡でお店を開くことになったのか?
広島出身、新潟在住のカープファン・中島さんへのインタビューを通じ、新潟から広島東洋カープの魅力に迫ってみたい。
私設応援団長だった広島時代
「いらっしゃい。どうぞ、そこ座って」
言葉少なに、しかし笑顔で迎えてくれた中島さん。この夜には団体予約が入っており、その仕込みをする最中の時間を割いていただいた。まるで少年のような笑顔は、広島男児のイメージを体現したかのような佇まいだ。
取材前日は野球の世界大会・ワールドベースボールクラシック(WBC)キューバ戦が行われ、日本代表は11−6で勝利した。まずは自然とWBCの話題へ。
――広島の菊池涼介選手(二塁手)が大活躍ですね。とくに守備で好プレーを連発していました。
「本当だね。なんであんなところにいるんだ!?って思うよね(満面の笑み)」
――今年も野球の話題で盛り上がれる時期になってきましたね。さて、昨年の優勝、あらためておめでとうございます。長岡市で20年近くお好み焼き店を営んでいらっしゃいますが、ご主人は広島のご出身と伺いました。しかも、ファン歴は60年以上になるとか。
「仕事の都合で1989年に新潟に来たんだ。それまではずっと広島にいたよ。もともとは三原市の出身でね。三菱重工など、昔から企業の野球チームの多い土地なんだ。カープだけじゃなくてね。外の人が思う以上に、広島は野球が根付いた土地なんだと思うよ」
――広島の前回優勝は1991年のことでした。その際は、新潟にいらっしゃったのですね。
「そう。その時は家族だけで応援していたよ。家内とふたりでテレビ観戦していたっけな。こっちで家を建てようと考えていて、もう忙しくて忙しくて。その時だけは野球どころじゃなかったな(笑)」
――カープの初優勝は1975年10月15日、後楽園球場での巨人戦でした。
「そう、水谷(※1)が最後、外野フライをキャッチしてね。今でも覚えているよ。その頃は私設応援団の団長をしていたんだ。試合後には、その水谷(※1)、キャッチャーの水沼(※2)が挨拶に来てくれたりもしたよ。水沼とはいまでもずっと付き合いがあるんだ。もう、弟みたいなもんだな! ハハハ」
※1…水谷実雄氏。外野手。1965年ドラフト4位で広島入団。1975年の優勝時にはチーム内打率2位を記録し、リーグ初優勝に貢献。後楽園球場での優勝決定戦時にはウイニングボールをキャッチした。
※2…水沼四郎氏。捕手。1968年ドラフト2位で広島入団。1975年のリーグ初優勝、1979年と1980年の2年連続日本一に大きく貢献した。
――長年応援してこられたご主人が考えるカープの魅力、強みというのは何なのでしょう?
「選手の成長だな。それには課程があるわけだよね。年棒500万で入ったとして、それが成長、活躍とともに1000万、2000万となっていくと。人に夢を与える存在なわけだよな。それが、より近くで感じられるからではないかな」
――育っていく選手を見られる魅力がある、と。先ほど話もありましたが、菊池選手はまさにカープの哲学を体現した選手なのかもしれませんね。
「そうそう。菊池は、広島だから、カープのスカウトだから獲得した選手だと思うよ」
――たしかに、広島は若手選手が試合に出ているイメージが常にあります。
「代表にも選ばれている鈴木誠也もそうだし、若い選手が成長していく姿というのは、良いもんだな」
市民球団の誇りを感じて広島で育つ
「『カープはお金がない』なんて言われながらも、去年は5億円を地元に寄付しているんだ。それをやめて毎年、選手を取ったら強くはなるかもしれないけれど、それはできないんだよね。なにせ、市民球団だから」
市民球団。
広島東洋カープが創設当初から徹底して貫くアイデンティティでもある。原爆の惨禍に見舞われた広島が戦後復興を果たしていく上で「野球で市民に夢を与えたい」との思いでスタートしたカープは、他球団とは一線を画した球団経営を行ってきた。
「創設は昭和26年。つまり戦後すぐ。当初は広島県内の各市町村が株を持ってチームを作っていったんだな。ただ、とにかくお金がない。実際に見たわけじゃないけれど、遠征費が少ないから、選手は列車の席の下に新聞紙を敷いて寝ながら移動したりした、なんてことも聞いたね。まあ、お金なんてあるわけがないんだ。なにせ、あたり一面、焼け野原だったわけだからね」
――中島さんは今年で75歳になられます。ということは、まさに戦後復興を果たしていく最中の広島で育ったわけですね。先ほど「若手の成長を間近で見られるのが魅力」というお話がありましたが、当時からそうだったのですか。
「当時、すでに広島出身のプロ野球選手が何人もおったんだね。巨人などの他チームにいたんだけど、カープができてから、彼らが広島に戻ってきて若手の育成に尽力してくれたんだ。給料は決して良くはなかったはずだけれど、だからこそ野球が本当に好きな選手が集まっているという印象が強かったな」
――広島出身の選手の郷土愛が強かった、と。
「そういう選手の姿を見ているわけだから、私をはじめ、当時の広島の高校生はね、誰もがみんな『大きくなったらカープの選手になる!』と思っていた。そういう時代だよ」
――たしかに、カープの選手からは強い広島愛を感じます。2015年には黒田博樹投手がカープに復帰しました。
「あれは嬉しかったね。まだまだ最高のレベルで投げられる、そんな時期に復帰してくれたんだから」
「若手選手を球団で一丸となって育て上げ、強い相手を倒す」こと。そして、それに答える選手たち。創設当初から貫く球団と選手の姿勢に胸を打たれ、新しくファンになっていく人は多い。
カープの魅力を静かに、しかし熱く語ってくれた中島さんには押し付けがましいところはなく、まったくカープに興味がなかった人でも、「中しま」を訪れ、話を聞いてファンになった、という人がいるというのも頷けるというものだ。
長岡で結成した「越後鯉恋会」
カープ初優勝、その後の2年連続日本一。1970年代の第1期カープ黄金期を広島で観ていたご主人は、転勤がきっかけで新潟県へ。その後、長岡市内の会社に転職し、以後は長岡で暮らすことになった。
そして2000年に「お好み焼き 中しま」をオープン。長岡で広島の本格的なお好み焼きが食べられるお店を、との思いがあったが、当初から「カープファンが集える店に」とまでは考えていなかった。
しかし、中島さんが私設応援団長をしていたことなどの噂を聞きつけ、新潟では決して多くはない、そしてそれゆえに他のファンとの関わりを求めるカープファンがひとり、またふたりと集い始める。気がつけば、「中しま」にはカープファンの輪が出来ていった。
「ほら」と中島さんが差し出した写真には、赤いユニフォームを着たカープファンで埋め尽くされた店内の光景が写っていた。2016年の優勝決定時の光景だ。何も知らず写真をみた人ならば、広島のお好み焼き店と勘違いしてもおかしくはない。それほどの熱気が、写真から伝わってくる。
中島さんが差し出した名刺には「越後鯉恋会」とある。新潟で広島ファンの輪が広がる中、「中しま」の常連客たちとともに結成したカープのファンクラブだ。みんなでカープの試合を店で観戦したり、ときにはマツダスタジアムまで足を運ぶ。
第二の故郷、長岡に思うこと
――中島さんは長岡に来られて30年近く経ちますが、カープファン歴60年のご主人から見た長岡と広島の違いは。
「広島では野球が深く根付いているね。さっき三菱重工野球部の話をしたけれど、そこには角盈男(三菱重工三原硬式野球部に所属、後に巨人で活躍)がいて、その辺で練習していたりしたもんだ。そういう土地なんだよね」
――生活と野球の距離が近かった、と。
「そう。だから、広島出身の選手は多いでしょう。プロ野球上がりの経験者がゴロゴロいて、少年時代から教えてくれるわけだから。野球の文化が根付いた土地ならではだよね。それと比べれば、新潟はまだまだ文化として根付いてはいないよね」
もっと長岡、新潟の野球シーンが盛り上がってほしい。中島さんは独自のコネクションを使い、カープ関係者を招いて長岡市の高校生向けの野球教室を企画するなど、「第二の故郷」の野球発展に向けて、活動している。
「やっぱりスポーツが盛り上がるっていうのは良いものだからね。地域も盛り上がるから」と中島さん。
野球だけではなく、サッカーJ1リーグのアルビレックス新潟や、長岡市に本拠を置く新潟アルビレックスBB(バスケットボール)も熱心に応援している。
――お店を見渡すと、グッズの他に色紙もたくさんあります。必ずしもカープの関係者ばかりではないですよね。
「カープ、野球に限らず、スポーツ好きが集まる場所を作りたかった、というのも店を始めたきっかけのひとつ。30年もお世話になっているところだから、(長岡、新潟の魅力を)広島、全国へと何か発信したいと思っているんだよ」
どこのファンでも気軽に来てほしい
――広島愛に満ち溢れたご主人とお店ですが、他チームのファンや野球を知らない人であっても大歓迎である、と。
「もちろん。全然関係ないよ。広島と長岡は、酒どころ。美味しいお酒と料理で楽しく話し、盛り上がるという文化は同じ。どうぞ、気軽に来てください」
広島と新潟を愛する「中しま」さん。今回は「広島ファンが集う店」ということで取材させていただいたが、蓋を開けてみれば、あらゆるスポーツファンが集う社交場のようなお店だった。
「広島ファンなのだけど、新潟でつながりがない」「ひとりで応援している」といった方はもちろん、スポーツを愛する人、そして新潟で本格的な広島のお好み焼きを食べたいという方は、ぜひ一度、足を運んでみてほしい。
Text and Photos: Junpei Takeya
お好み焼き 中しま
[住所] 新潟県長岡市東坂之上町3-2-1
[電話番号] 0258-31-5575
[営業時間] 17時~23時(日曜11時30分~22時)
[定休日]月曜日
[駐車場]なし