【長岡蔵人めぐり 第7回】小さなチームの強みを生かす。伝統と変化の先に「現代の酒」を醸し続ける河忠酒造

2021/5/23

長岡市内の酒蔵16軒を巡り、蔵人たちの思いを伺う本企画「蔵人めぐり」。今回訪ねたのは、長岡市三島地域で江戸時代から酒造りを行う「河忠酒造」。西山連峰の山麓、豊かな水源に恵まれたこの地域で、どんな酒造りをしているのか? 代表と杜氏にお話を聞いた。

「長岡ではなく三島の酒」
長い歴史が培ってきた誇り

長岡駅から北西に車を走らせて、30分ほど。なだらかな稜線が連なる西山連峰の麓に「河忠酒造」はあった。創業は江戸時代中期の1765年。250年以上、この地で酒蔵を構えている。

「私たちは“長岡の”酒蔵とよく言われますが、我々の感覚からすると、“三島の”酒蔵なんですよ」と話してくれたのは、「河忠酒造」9代目社長の河内忠之さん(トップの写真右)だ。

かつて三島は人の往来が盛んな商業集積地で、一帯には多くの酒蔵が集まっていたという。三島が江戸時代に天領だったことや、佐渡から金銀が揚がる荷揚げ港だった出雲崎がそばにあったことが関係していた。ちなみに現在残っているのは、「河忠酒造」と「中川酒造」、「住乃井酒造」の3軒のみだ。三島は長い間三島町として独立した町だったが、2005年に長岡市と合併している。

「私たちにとって、かつては信濃川を越えて長岡の中心街に行くというのは難しかったのです。なので、昔は長岡の中心ではなく、船で下って蒲原(信濃川下流の右岸の地域、現在は新潟市)のほうへ運んでいました。一口に現在の長岡市内で造られている酒といっても、歴史も環境も、飲み手も全く違うのです」(河内さん)

創業は明和二年、十代将軍徳川家治の時代。幕末には隣に長岡藩、さらには全国の米相場が決まる市があったため、この近辺には全国から人が集まっていたという。

そして、歴史的な背景だけでなく、水が豊富な三島の環境が、この地を一大酒蔵地域にした。河忠酒造の仕込み水は、西山連峰の伏流水を地下30メートルの井戸から汲み上げている。「今まで、水が枯れたことは一度もありません。すべての酒を自前の水で仕込んでいます。一升瓶を1本仕込むのに水はどれくらい必要なんだっけ?」という河内さんの質問に答えたのは、杜氏の野水万寿生(のみずますお)さんだ。「洗い物などすべての工程を含め、一般的に言われているのは酒の30〜50倍の水ですね。一升瓶が1.8リットルだから、100リットル弱くらいは使うと思います。それほど、このあたりは水が豊富だということです」。

酒米は、高嶺錦、越淡麗、五百万石などといった品種の中から酒に合わせて使い分けており、100%新潟県産。「越後の米と、ここの空気と水で仕込むといい酒ができます」と河内さんは笑顔で語った。

酒蔵から見える景色。すぐ裏には西山連峰が見える。

「ほわっ、辛、スパッ!」
風味とキレを磨いた河忠酒造の酒

河忠酒造の酒は、全体的に辛口のラインアップだ。看板酒は、ふくらみがありきれいな旨みの感じられる「想天坊」。口に含むと、まずは甘みと旨みが広がるが、最後にはすっとキレがあるので、口の中が一度“リセット”される。すると、また次の料理へと箸が伸びるので、酒も肴も進む、進む。

「うちのお酒は、新潟らしい淡麗辛口を探求していますが、水っぽくてただ飲みやすいというのではなく、味がしっかりとして最後にはキレがあるというのを目指しています。言うなれば、『ほわっ、辛、スパッ!』。『ほわっ』と香りと旨みが漂い、辛口の酒の味わいが広がったあと、『スパッ!』とキレる。私が杜氏になってから11年間、特にひたすらキレを磨いてきました」(野水さん)

想天坊だけでも、季節限定酒を入れると20以上の種類がある。左からマガモ農法で栽培した高嶺錦を100%使用した「ゆらぎ」、純米の新しい味わいを表現した野水さんの意欲作「外伝 辛口純米酒」、日本酒度+10の「大辛口」、「想天坊 大辛口 高嶺錦 磨き60」 定番酒「想天坊 大辛口」のグレードアップ版、西山にある伝説の滝から名前をとり、しぼりたて酒を火入れせずに蔵出しした「じゃんげ 超辛口二十度生」。

野水さんは11年前、新潟の酒蔵界を牽引してきた伝説的な杜氏・郷良夫さんより、33歳の若さで杜氏を受け継いだ。2000年に「想天坊」を作ったのも郷さん。圧倒的に大きな存在である先代杜氏の酒造りを、野水さんはどのように受け継いだのだろう。

「酒造りには、『一麹、二酛(もと)、三造り』という言葉がありますが、この言葉通り、郷さんは麹づくりに強いこだわりを持っていました。十数年間、間近で郷さんのこだわりや技術のすごさを学んできて、郷さんの精神や作り方の基本は今も守っています。ただ、郷さんの味を守ればいいだけとは思っていません。想天坊の形を残しつつ、少しずつ進化・進歩させていくのが私たちの仕事です。私たちの日常や食生活、何もかも変わりつつありますから」(野水さん)

野水さんは、20代前半に河忠酒造に入り、今年で21年目。出身は三島ではなく、三条市。今も三条から通っている。

「野水さんに変わってから、想天坊の味は変わりましたか?」と聞いてみると、今度は河内さんが答えてくれた。

「河忠らしさは大切にしつつも、細かいところは変わりました。昔はどこもそうだったと思いますが、酒造りに使う酵母はこれ、麹はこれ、とひとつに決めていて、全体的に同じ系統の酒ができていました。今の野水や若い人は、清酒学校などで教育を受け、酵母や麹の特性を体系的に把握しています。酒によって酵母や麹を組み合わし、ひとつひとつ作り方を変えるので、できる酒に多様性があります」

実際に酒造りに使用している「種麹」。手前のざるに入れて振る。「企業秘密ではないんですか?」と聞くと、「全然。酒って材料や道具を全部真似したとしても、同じものはつくれないので」と野水さん。

そして、今は食生活も変わったと河内さんは続ける。「たとえば肉体労働をするブルーカラーの人が多かった時代には、(汗をかくので)塩分の多い味の濃いものが食べられていました。ですが、今のようにホワイトカラーの人が増えたら、塩分は控えめでお酒もきれいな飲み口のものが好まれますよね。また、とんかつのように和食とも洋食ともつかない油っぽいものも多い現代では、“酸”を意識しなくてはならない。そういう部分でわれわれのお酒も進化しました」

河忠酒造の味に関して、社長の河内さんは杜氏の野水さんに全幅の信頼を置いている。野水さんは、郷さんの時代から飲んでくれている人のことも想いつつ、飽きられないように、毎年微妙に変化をつけているという。

「泡あり酵母」を入れて仕込んだもろみが発酵中。いまは機械により自動で泡を消せるが、昔は寝ずに作業する必要があったという。右下は、同じ種類の「泡なし酵母」で仕込んだもろみ。

「全責任を負っているので、失敗したら私のせいだというプレッシャーや、伝統の味を受け継ぐことなど、常に悩みながら酒を造っていますが、最終的な判断は、自分が美味しいと思えばそれで良いということにしています。わがままだと言われればそうなのかもしれませんが、私は人の意見にあまり左右されたくありません。対面で熱量を感じて話ができる方の意見だといいのですが、ネットやSNSは一切見ないですね。『今年の酒はこうでしたね、ああでしたね』と書かれると、引っかかるじゃないですか(笑)。酒屋さんや信頼できる人の反応、社会の変化は意識しつつも、自分の酒をブラさないことが一番大切だと思っています」(野水さん)

手作業と機械を使い分けた
「再現性の高い」酒造り

河忠酒造は、甑で酒米を蒸し、「箱麹」という木製の箱を使って手作業で麹を作るなど、伝統的な手法で酒造りを行っている。「わたしたちは大きな酒蔵ではないので、機械がなくとも事足りるという理由もありますが、人の手のほうが細かいことを調整できる部分もあるんです」と野水さんは言う。

例えば、蒸し米の放冷作業では、機械を使うと米の外側だけが冷えて、中心が冷え切らず、調整したい温度にならないことがある。しかし、人力で蒸米を運び出し、放冷台といわれる木の箱に盛って自然放冷させると、小数点以下の細かい温度まで調整可能となる。

上/中央の大きな緑色の樽が、米を蒸す甑。昔は和釜で沸騰した熱で蒸していたが、現在はボイラーを使っている。左下/箱麹の箱。この上に蒸した酒米を乗せて二人で運ぶ。河忠酒造の麹は全量箱麹を使い、手造りされている。右下/使われなくなった和釜は、現在、道具などを煮沸殺菌するのに有効活用している。

一方で、伝統ある立派な木造酒蔵のなか、一箇所だけ“近代化された”場所を見つけた。それは、麹室。ステンレスでできている。2004年の中越沖地震で酒蔵が傷み、傾いた中、特に破損が大きかったのが杉でできた麹室だった。新しく造り直す際にステンレスか木製かで意見が割れたが、結局ステンレスになったという。

「結果的に、私はよかったと思います。木の室(むろ)は、雰囲気はいいですが最初の数年は木の香りが残って酒に影響が出ますし、外の気温や湿度に中の環境が左右されやすいんです。同じ麹室で10年くらい麹を造ってきて、室内の変化を感覚でつかんでいるベテランが作業するならいいですが、その人が風邪でも引いちゃったら困りますよね」と野水さん。

上・左下/ステンレス製の麹室。中はじんわりとあたたかかった。奥は、大吟醸など高級酒を造るときにしか使わない「吟醸室」。右下/麹室の入り口上部には、京都・松尾神社のお酒の神様を祀る神棚があった。

それに比べて、ステンレス製の麹室は湿度と温度の調整がボタン一つでできる。感覚に頼る属人的な環境から、一気にハードルが低くなったのは間違いない。

「個人的な考えですが、これから求められるのは再現性のある酒造りだと思います。感覚も大事ですが、次の世代には数字など具体的なことも伝えていかないといけません。また、人間が頑張っても手の施しようのないところは、設備に投資して機械に任せるほうがいいと思います。それで味が変わるとは思いませんし、むしろ今までぼやけていたところが洗練されて、個性がもっと出てくると思います」(野水さん)

野水さんには、理にかなったところでは昔ながらの手法を活かし、必要な設備には投資をするという柔軟な考え方があるようだ。

蔵人は全員オールラウンダー?
小さな蔵ならではの強み

再現性のある酒造りは、野水さんの杜氏としてのあり方にも現れている。現在、河忠酒造の蔵人は野水さんを含めて5人。野水さんが指揮をとり、河内さんの弟さんが麹室、50歳のベテランが酒母を育て、27歳の若手が甑を掘る(混ぜる)などの力仕事を担当し、冬場の繁忙期になると熟練の女性が加わるという、チームプレイを見せている。

「役割を分担していますが、うちは小さなチームなので、全てのパートをやらざるを得ない。ですので、自然と全員が全部のポジションを守れるみたいな、オールラウンダーになります。だから、うちのスタッフはほかの蔵に連れて行っても恥ずかしくないですね」と野水さんは嬉しそうに語る。

また、野水さんは「今年の大吟醸はこういうタイプにしたい」「最終的な(酒のアルコール度数などの)数値目標はこう」「こういうイメージで作りたい」など、自身の考えをなるべくチームで共有し、さらに「みんなはどう思う?」と投げかけるようにしている。それにより、今なにをつくっているのかを全員が理解し、同じ方向を向いて酒造りができる。

「ひと昔前までは、お酒の大会に出品するような大吟醸を作るとき、杜氏というものは殺気めいたものを放ち、声もかけられないような存在でした。いわば『神様』のような存在でしたし、杜氏とはそうあるべきだと私自身思っていました。ですが自分が杜氏になってみて、たとえば怒鳴りつけて教えてもスタッフは萎縮するだけですし、すべてをひとりで管理して孤軍奮闘しても、良い酒造りはできないと思ったんです」と野水さんは言う。

河忠酒造のタンクは貯蔵用も含めて、60本以上ある。酒蔵の中は、どこをとっても清潔だった。

 

発酵中のもろみ。手で仰ぐと梨のようなフルーティな香りが漂ってくるが、二酸化炭素が発生しているため、タンクを覗き込むのは大変危険だそう。

また野水さんは、小さなチームの利点についても話してくれた。
「小さな蔵のいいところは、柔軟性です。たとえば、大きな蔵ではあと二日待てば発酵が進んで美味しくなるお酒を、生産管理の兼ね合いで期日通りにタンクを開けなくてはならず、しょうがなく絞るということもあるかもしれません。私たちは、チーム内で共有して協力することができれば、柔軟に対応できるので、自分たちの好きなタイミングでのんびり絞ることができる。いつも良い酒造りができているなと思います」(野水さん)

新しい形のリーダーが、受け継ぐところと変革するところを悩みながら選択し、キレのある酒を醸している。伝統とアップデートの先に、河忠酒造の酒はあった。

 

Text & Photo:橋本安奈

 

Information
河忠酒造
[住所]長岡市脇野町1677
[電話]0258-42-2405
[URL]http://www.soutenbou.jp/

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