地域に根を張り、視線は世界へ――孫ターン夫婦が運営する学びの場「Tochioto」
先人の拓いた土地を引き継いで
刈屋高志さんは、新潟市出身。高校卒業後に2年半の中国留学を経験したことで抱いた多くの疑問から、大学は文学部へ進学しました。文学、哲学、歴史学、宗教学、心理学、文化人類学、民俗学、社会学……分野を問わず興味を持ったことを横断的に学んだといいます。そしてそれと並行して日本全国を旅して回った高志さん。多くの地方で活躍する人たちと出会い、たくさんの感銘を受けたそう。
そんな大学時代、母親の実家であり、祖父母が暮らす栃尾地域を訪ねた時のことを話してくれました。「祖父母と一緒にフキノトウ採りをした時のことです。忽然と棚田を縫って流れ落ちる水路に目がいき、それまで風景にすぎなかった田んぼが、実は先人たちによって見事にデザインされていたことに気がつきました。そして、その棚田を耕作する祖父母ももうじき80歳。遠くない将来、先祖伝来の土地が耕作放棄地になってしまうことに思い当りました」。
その後、山口県で実家の農地山林を活かして生業にする農業初心者の兄弟と出会い、ふたりの生き方に触れたことで、「自分が祖父母を継ごう」と思うようになったといいます。
こうして高志さんは、大学を卒業する2009年に、生活の場を東京から祖父母が暮らす栃尾地域に移し、「孫ターン」(※)。一旦は、2004年に発生した中越大震災からの復興に関する住民のサポートに取り組むべく、「復興支援員」の仕事に就き、長岡市内の中山間地域で地域を相手に活動を行いました。
※孫ターン……都市部に住む20~40代の世代が、自分たちの親、あるいは祖父母のいる地元に移住すること。
そしてその後、就農。
「小さい時から足を運んできた場所なので、移住に際し大きな不安はありませんでした。復興支援員として地域と関わる時間があったおかげで顔見知りの人が増え、農業を始めた現在も様々な場面で助けてもらっています」。
同じく農業を志した弟の将志さんとともに、16代続く農地を継承し、農薬や化学肥料を使用せず野菜を栽培することで、健康な土地づくりに取り組む「刈屋さんちの安心野菜」を起業。就農当時50aだった農地は現在、周囲の人の休耕田も借り受け2倍ほどの面積になっているそう。将志さんが独立した今も、変わらずに農業と真剣に向き合う日々です。栃尾地域内に留まらず、新潟市や県外へも野菜の販売は広がっています。
「今年で86歳になった祖父は、今は特別田んぼも畑もしていませんが、我々が就農した当初は、よく愛犬を連れて散歩がてら畑に様子を見に来てくれました。最近は家の作業場で山菜や野菜の選別をしていると覗きに来て、いっぱい採れたなー。などと言って去っていきます。そんな感じで温かく見守ってくれています」。
地方でも「開かれた暮らし」をしたい
奥さんのひと美さんは、福島県会津若松市の出身。小さい頃から「これはなぜだろう?」と考えたり、データから物事の背景を推理するのが好きだったと言います。そういった性分もあってか、栃尾地域に移住する前は、東京にあるNPO法人や、地域コンサルタントを仕事にしていました。「当時は、シングルマザーで娘との2人暮らし。都会に住みつつ、地方にも居場所を持つ「半農半X」(※) の暮らしに興味があったり、山村留学の寮母さんになって、多くの人がいる環境の中で大家族的に子どもを育てるのもいいなと思っていました」。
※半農半X……塩見直紀氏が提唱する、半自給的な「農業」と「やりたい仕事=X」を両立した生活のあり方。
地方での暮らしや、開かれた暮らしに興味のあったひと美さんは、仕事の出張先や休暇を地方で過ごすことも多かったそう。「北は北海道のニセコ町や美瑛町、南は沖縄まで娘と一緒に行きました。人や景色などたくさんの出会いがあり、まさに第二の故郷的な田舎を持った暮らしです」。
高志さんとの出会いは、2009年3月。ひと美さんが勤め始めたNPO法人ふるさと回帰支援センターで、学生アルバイトとして勤めていたのが高志さんです。その同年に、高志さんは栃尾地域での就職を決め旅立ちます。そしてひと美さんもまた、仕事ぶりを買われ地域コンサルタントとして東京を拠点にしながらも新たな環境で働きだします。
そうして2012年、ふたりは結婚。
「地方で実践をしてみたい、開かれた暮らしがしてみたいという思いが心の中で少しずつ膨らんでいました。それと、尊敬できる義理の祖父母の隣で生活ができるということもあって、自分にとってベストな場所だと思いました」(ひと美さん)
「彼女とは、生き方、暮らし方、仕事の作り方など多くの大切にしたい価値観を共有することができる。そう思って結婚に至りました」(高志さん)
こうして、ひと美さんも栃尾地域へ移り住み、新たな暮らしが始まりました。
築80年の古民家が学びの場
中国語が堪能な高志さんと、英語に明るいひと美さん。ふたりの語学力や地域への愛着、外の世界への興味などが相まって、2012年にひと美さんが「大人にとっても子どもにとっても学びの場になれば」とスタートさせたのが、「Tochioto」です。まずは、英会話教室と地域の特産を使った加工食品の製造販売を開始しました。
転機となったのは、2015年。ふたりは、住居と同じ地域にある築80年の古民家をリノベーション。講演やワークショップなどを行う交流拠点をつくり、運営を開始しました。おとなこども寺子屋「Tochioto」として活動の幅を広げ、現在は民泊もできるイベントスペースになっています。
「知りたい」「学びたい」から始まるTochiotoの企画
Tochiotoでは、これまで様々な企画を実施してきました。雪国ならではの保存食文化を体験しようと企画したのは、「びん詰めダイアリー」。四季折々の旬を瓶いっぱいに詰め込んで楽しもうというもので、ネーミングもチャーミング。参加者同士で仕込みつつ、おしゃべりするということも大事な目的の一つなのだそう。
コラボ企画や、場の貸出しにも積極的です。農薬・肥料不使用で育てられた枝豆の収穫体験&枝豆料理を味わう「tochiotoブランチ」というイベントでは、栃尾地域にあるレストラン「エスポワール」のシェフとコラボ。『枝豆七変化』と称して栃尾のあぶらげを作った際に出るおからを使用したクリーミーなサラダや、ゴルゴンゾーラと合せた枝豆アイスクリームに姿を変えた、あぶらげ産地らしい枝豆の新たな食べ方を参加者に提案しました。
ひと美さんは、Tochiotoの企画について、「女性一人でも気軽に足を運べるような機会を作っていきたいと思っています。あと、私がこの街を好きになりたくてやっている部分も大きいです」。ひと美さん自身が抱く、栃尾地域への興味があるからこそ、地域のリアルな営みを体験できるTochiotoの企画が生まれます。
イベントの他にも、栃尾の資源にスポットをあてた商品開発と販売を行っています。例えば、Tochioto の代名詞とも言える、「色で選ぶ野草茶」は、桑ミントブレンドと、柿の葉茶、桑の葉茶、よもぎレモンバーム茶など7種類あり、迷う楽しさと、手に取りたくなるパッケージデザイン。野草を身近に感じられる商品です。
この「色で選ぶ野草茶」は、ひと美さんの熱い思いが形になったもの。「栃尾の山で素材を集めて野草茶を作り始めたのは、人と一緒に作りやすいからなんです。子どもから年配の方まで作業できるので、この作業をいつか誰かと出来たらいいなと思っていました」。地域の資源にスポットを当てつつも、人と繋がるためのツールにもなっています。
他には、Go kaku(合格)コースターという、県内産の無垢材コースターも。栃尾にある五を書く神社(合格)神社と呼ばれる、合格祈願のメッカにちなんだ縁起物です。制作にあたるのは、地元の大工さん達。一つ一つカンナがけされた丁寧な仕事に職人魂を感じます。そして、表面の仕上げは山で拾ってきた胡桃で作った天然のクルミオイルを施しているそう。ダジャレを織り交ぜつつ、どこまでも「メイドイン栃尾」にこだわる商品からは、ひと美さんの地域愛が伝わってきます。
Tochiotoのこれから
今年3月、おふたりの活動が一つの変化の時期を迎えました。ひと美さんが新たな仕事に就くこととなり、Tochiotoの代表は高志さんへと引き継がれたのです。そして、代表を交代してから初めてのイベント「モザンビーク報告も!【緊急開催】フィリピン短期留学レポート」が開催されました。
今回の企画は、ひと美さんが2週間、フィリピンで過ごした短期語学留学の報告会です。留学の動機の一つについて、「新潟との直行便があるので、Tochiotoへは中国や台湾の大学生が民泊客として多くやってきます。言語を超えて人柄が伝わってくるからこそ、もっと話がしたいと思うようになりました。訪ねてくれるお客さんともっと会話をして、たくさん学びたいと思ったんです」。
参加者を交えながら話は尽きず、あっと言う間の2時間半。日本の教育感や、日本人の性分、アメリカとの付き合い方など、ここが栃尾であることを忘れるほどのスケールの話が飛び交いました。
参加した中学生からは、「英語を学ぶ意味を見つけられない。学んで何がしたいのか、何になるのかよくわからないから、勉強のやり方もわかりません」という相談がありました。
これに対して、船津さんからは、「モザンビークで、現地の人に何人家族か聞いた時、家族構成が複雑で驚きました。文化の違いを理解できるのは、言葉がわかるから。私はこれが言語を学ぶ意欲になっています」。
そして高志さんからは「例えば英語しか話せない人を好きになって、相手のことを知りたいと思うと、話そうとする。言葉の技術を習得するために勉強をするよりも、相手をもっと知りたいから勉強をする。学ぶ理由としては、それが一番だと思います」。自分なりに、学びの本質を伝えていました。
それぞれが自分自身へ問いかけ、考えを深める。そして真剣に質問に向き合う、正に学びの時間でした。
最後に、高志さんがTochiotoのある栃尾地域の栃掘地区の住所につく字(あざ)の話を聞かせてくれました。「そう広くはない地域ですが、ここには『赤花』、『畦高』、『大岡』といった小字(こあざ)が無数にあり、細かく土地を呼び分けています。例えば『赤花』という地名は、土が赤土ということからきているようで、地名ひとつ見ても、土地環境の特徴が由来しているんです。昔の暮らしには、今からは測り知れない感覚があったんだと思います」。
この地域で根付いてきた暮らしを見つめる眼差しに、Tochiotoの活動の根源を感じます。
ひと美さんはご自身たちについて、「絡み好きな人(ひと美さん)と、一人で黙々タイプの人(高志さん)」と教えてくれました。栃尾地域で、周囲とコラボしたり、興味を掘り下げたり、ふたりの人柄から生み出される学びの場が、これからどんな景色を見せてくれるのか楽しみです。
Tochiotoでは新たなイベントとして、黒文字という香りのいい植物をつかってハーバルウォーターを作るワークショップと、自作の黒文字菓子切りと黒文字茶で和菓子を楽しむワークショップを企画しているそう。詳細は近日公開予定とのことです。みんなで一緒におしゃべりしながら手を動かす時間もいいですね。おふたりに会いに、初夏の栃尾地域を訪ねてみてはいかがでしょうか。
Text & Photos:Naoko Iwafuchi
おとな こども 寺子屋 Tochioto(トチオト)は、現在休止中です。(2022年1月時点)