時代を超えて愛される昭和の味とノスタルジー。長岡「フレンド」60年の歴史を探る
2019/1/28
新潟のソウルフード、そのルーツとは
一般的にイタリアンといえば、パスタやピザなどイタリア料理をイメージしますよね。でも、あなたがもし新潟県内で「イタリアン食べに行こう!」と誘われたらご注意を。もしかしたらこっちかもしれません。
「えーと、これはミートソースのスパゲッティ?いや、あんかけ焼きそば?」という声が聞こえてきそうですが、食べてみないと一体なんなのかわからない、この摩訶不思議な食べ物こそ、地元民が愛してやまない「イタリアン」なのです。
パスタのようにも見える麺は焼きそば用のやや太めの中華麺で、その中に見え隠れしているのはモヤシとキャベツ。自家製ソースの甘酸っぱい香りが鼻をくすぐります。庶民的でありながら個性的で、どうってことないけれど後を引き、きっとまた食べたくなる。そんな味わいです。
「新潟のB級グルメ」として全国ネットのバラエティ番組でたびたび紹介され、放送直後は各店で品切れになることも。長岡市の「フレンド」と新潟市の「みかづき」、両者の「イタリアン味比べ」もテレビではおなじみです。
「イタリアン」が世に出たのは1960年のこと。フレンドとみかづき、共に前身は甘味喫茶で交流があり、社長たちが親友だったそうです。ふたりは頻繁に会い、新商品についてあれこれと話して共同で開発を進める中、東京・京橋の甘味喫茶「中ばし」でソース焼きそばを一緒に食べたとか。この味に着想を得たものを、まずは、みかづきの三日月晴三さんが「イタリアン」として販売開始。その後、フレンド創業者の木村政雄さんもオリジナルの味を考案し、フレンドの「イタリアン」が誕生しました。
新潟の「イタリアン」とは、つまり「イタリアン焼きそば」だったんですね。
甘味喫茶からファストフードへ
まずは「ぎょうざ」の開発に着手
1960年代に一緒にアメリカ研修旅行に赴いた木村さんと三日月さんは、まだ日本にはなかったマクドナルドなど、現地の飲食店を視察。ハンバーガーを1日に何個も試食して「日本にもファストフードを!」と、それぞれ甘味喫茶からの業態転換を思い描いたそうです。
「ファストフードのメニューはなにがいいだろう」と模索する中、たまたま餃子職人と知り合ったフレンドの木村さんは、「イタリアン」より先に餃子の開発に取り掛かり、販売をスタートしました。しかし、ニンニク臭い餃子は当初、デパ地下の女性客に受け入れられなかったそうです。なんとかせねばと、インターネットがない時代、木村さんは足で情報収集に励みました。そして、ついに東京の名店「銀座 天竜」の餃子にめぐり合い、「ニンニクなしでもおいしい!」ということを発見した木村さん。この餃子をヒントに試行錯誤を繰り返し、フレンドの「ぎょうざ」が完成したのです。
餃子自体もまだまだ珍しい時代でしたが、ニンニク臭くない「ぎょうざ」はヒット商品となり、おかずやおやつに買い求める人で長蛇の列ができました。
創業者の理念であり、時代を超えてフレンドに根付いているコンセプトのひとつが「お客さまの健康第一」。ファストフードであっても手を抜かず、「ぎょうざ」は添加物不使用、調味料を合わせ約30品目の素材を使っています。
フレンドが入っていた「マルセン」こと丸専デパートは1997年に閉店しましたが、その後、長岡駅ビルCoCoLo長岡1階に新しいお店ができました。長岡に帰省した人はまずここで食事をして、東京に戻るときにはお土産を買って帰るなど、新幹線を利用する前後に立ち寄る場所となっているようです。
日本の車社会の発展のため
先駆けて設置したドライブスルー
まだファストフードという言葉も浸透していなかった時代に、華麗な転換を遂げたフレンド。ですが、実はフレンドに関しては、こんな噂もあるんです。
「ドライブスルーはマクドナルドよりフレンドが先だった」
本当に!?……と言いたくなるような噂を検証するため、関越自動車道・長岡ICに近いフレンド喜多町店を訪ねました。現在9店舗あるフレンド唯一の路面店で、株式会社フレンド本部と「イタリアン」や「ぎょうざ」の工場を併設しているフレンドの本拠地です。
取材に応じてくださった豊田雅彦さんは3代目の代表取締役社長。創業者の孫に当たる奥さまと結婚し、フレンド入社を機に長岡市にやってきました。神奈川県逗子市出身で、長岡に暮らして15年だそうです。
「ちょうど30歳で入社したとき、すでに創業者は他界していて詳しい話を聞くことはできませんでしたが、アメリカ研修で現地のドライブスルーを見て『車社会の発展のため、日本にもこれが必要だ』と考えたようで、1976年に設置したという記録があります。日本でいちばんかどうか、それはわかりませんが、時期としてはかなり早いですよね。車に乗ったまま買い物できる店として、話題になったようです」(豊田さん)
ということでしたが、調べてみるとマクドナルドの日本1号店オープンが1971年、そしてドライブスルーができたのが1977年だそうで、確かにフレンドのほうが早い!創業者・木村政雄さんのファストフードへの情熱とフットワークの良さが伺えます。
「この界隈にまだなにもない、道路もできていない状態でよくこの店を作ったなぁと。先見の明があったというか、ユニークな人だったのかなと思います。きっと大きな夢を抱いていたのでしょう」(豊田さん)
時代が変化しても変わらないもの
フレンド喜多町店に入るとサンプルが並んだ昔ながらのショーケースがあり、時間が止まっているかのよう。平成も終わろうというのに昭和の薫りが漂い、まるで数十年前にタイムスリップしたような感覚に捉われます。
フレンド各店が1年でいちばん賑わうのは8月の「長岡まつり大花火大会」で、同様に混み合うのが大晦日のお昼なのだとか。「夜はごちそうだから昼は手軽にイタリアンとぎょうざで」と立ち寄る人たち、「大掃除で忙しいお母さんのために買って帰ろう」「帰省する子供たち、孫たちのために大好物を用意しておいてあげよう」という人たち。そんな市民の気持ちに、フレンドは寄り添ってきました。
変わらないものもあれば、変わるものもあります。豊田さんはフレンドの変化について、こう語ります。
「レシピはほとんど変えていませんが、実は2017年に『ぎょうざ』の皮を改良して、もちもち感を出しています。前から変えたいなと思っていたのですが、品数が少ないのでなにかを変えるのはすごく勇気が要ります。反応はどうでしょうね。売り上げに大きな変化はないので、たぶん受け入れていただいているのではないかと(笑)。周りも変化していますし、変えるべきところは変えたいと思っていますが、劇的に変えるのはよくないので少しずつ。その塩梅というか、さじ加減が難しいですね」(豊田さん)
冷凍の「パーティーぎょうざ」は常備しておくと便利と人気の商品。「ぎょうざの半分くらいの高さまで水を入れ、蓋をして蒸す。その蓋を少しずらして蒸気を逃がすとおいしく出来上がりますよ」と、豊田さんが焼き方のコツを教えてくれました。
地元の人間なら誰でも「わぁ、懐かしい〜!」と胸が熱くなり、家族・友人と過ごした時間や街の記憶が蘇って、ときには涙することも。そんな、世代を超えて語り合えるソウルフードがあるという幸せ。変わらぬ味を守り続ける人がいて、愛して食べ続ける人がいて、次世代にも受け継がれていきます。
「なんともいえない懐かしさや心地よさがあると言ってくださる方がたくさんいて。僕にはソウルフードというものはなく、その実感はないけれど、みなさんの気持ちは伝わります。もう15年もこの街にいますからね。その気持ちを壊さないように大切にして、ちょっとでもその思いを膨らませることができたら。フレンドにはきっと、なにかがあるんだと思います。好きで食べてくれる人たちがいる限り、このまま在り続けたいですね」(豊田さん)
Text: Akiko Matsumaru
Photos: Hirokuni Iketo
*フレンドの歴史を物語る貴重な写真はフレンド本部にお借りしました。
●Information
フレンド喜多町店
[住所]新潟県長岡市喜多町字鐙潟572
[電話]0258-28-0152
[営業時間]10:00~19:00(ドライブスルーは20:00まで)
[URL]https://www.e-friend.co.jp