なぜ、誰もが不安なのか——。スリランカ料理「あ〜ゆぼ〜わん」店主が語る、私たちの社会に必要なもの
2021.10.11
長岡市中心部から長生橋を渡って信濃川を越え、車を走らせること数分。住宅と商店が入り組む北山地区の一角に、スリランカ料理店「あ〜ゆぼ〜わん」がある。聞きなれない響きの店名は、スリランカで話されるシンハラ語で「こんにちは」「おはようございます」など、出会い頭の挨拶を意味する「アーユボーワン ආයුබෝවන්」から採られている。
その名の通り、この店ではスパイスを効かせたプレートやスリランカカレーをはじめ、スリランカの伝統医療であるアーユルヴェーダの発想を取り入れた食事を堪能できる。使用しているハーブや食材もほとんどが自家製だ。
このお店を切り盛りしているのが、スリランカ出身の齋木ナヤニさん。結婚を機に22年前に長岡へと移住し、紆余曲折を経て2017年、ここ長岡に「あ〜ゆぼ〜わん」を開業した。その歩みは以前「な!ナガオカ」でも一度紹介しているが、今回はナヤニさんにさらに聞いてみたいこともあり、改めてお話を伺うことにした。
→以前の記事はこちら
「スリランカ、フィリピン、ロシア…海外から長岡へ。3人の女性の移住物語」
『おしん』や『西遊記』を
見ながら育った少女時代
スリランカの古都・キャンディで生まれ育ったナヤニさんは、小さな頃からドラマ『おしん』や堺正章主演の『西遊記(海外では『Monkey Magic』)』など、海外で放映されていた日本ドラマや、着物を着た大和撫子といったイメージに憧れを抱いていたという。結婚とともに来日して初めて渋谷のガングロギャルの存在を知り、抱いていた日本のイメージとの大きなギャップにカルチャーショックを受けた……というのは、前回のインタビューでも語られた通り。
「仕事でスリランカを訪れていた夫と出会って結婚することになったとき、私の親はものすごく反対しました。娘が日本に行くことは本当に、想像もつかなかったのだと思います。でも、私は小さな世界から、外に出てみたかった。だから、まったく怖いとか、不安とか、故郷を離れるのが嫌とか、そういう気持ちはないつもりだったんです。
だけど、いざ飛行機がスリランカの土地から離れて飛び立ったとき、初めて涙が出て。それまで我慢していた気持ちが、溢れ出したんですね。でも、飛行機が上空にたどり着く頃には、『これからは、何があっても新しい土地で生きていくんだ』という気持ちに変わっていました」
言葉もまだ十分に話せない中、見知らぬ土地、見知らぬ文化の中で生きることを決断するには、相応の覚悟も必要だった。
「結婚するにあたって夫に確認したのは、『ご両親と同居しなくてもいいですか?』ということでした。『おしん』でさんざん、家族の問題で苦労する女性の姿を見ていたから、それだけは嫌だった(笑)。育った文化も、年齢や感覚も違いますから、きっと苦労すると思ったので、そこは先にハッキリしておきたかったんです。でも、それは引き換えに、家事や育児の助けが得られないということでもあって。全部を自分でやらないといけないんですね。子供が保育園で病気をもらって帰ったりしても、誰も助けてくれる人はいない。初めの頃は、よく泣いたりしていました」
教職に趣味に全力投球の日本生活。
しかし「がんばりすぎる」性格で…
来日後、長岡に住み始めてしばらくの間は、近所の公園に遊びに来ている子供たちと身振り手振りで会話しながら日本語を勉強していったナヤニさん。そんな中で、小学校のALT(授業の英語学習をサポートする英語指導助手)の仕事を紹介された。
「自分にも子供がいたので、『これはいいな』と思いました。子供たちと関わっているうちに日本の子供たちがどうやって学んでいるのか、教育の現場で出てくる問題、親や学校がそれにどう向き合っているのか……ということが見えてくる。私にとってはすごくありがたい、学びの場でした。
もちろん、戸惑うこともたくさんありましたけどね。仕事だと日常会話とはまた違う難しい言葉も使わなければならないし、あとは、職員室にいて電話がかかってきた時に、相手の話を聞きながらメモを取るのがすごく難しかったり。でも、子供たちといる時間はすごく楽しかったですね」
そんな中で、長く続く趣味にも出会った。
「学校で書道を初めて見て、『アートみたい!』と思ったんです。あれは字を書いているようで、瞑想と同じなんですね。その後から十年間くらい習ったんですが、もう、大好きで大好きで。子供二人と一緒に習っていたんですが、いざ正座して書き始めると、炭の香りを嗅ぐだけで深く集中して、子供のことも目に入らなくなるくらい(笑)。大好きな時間でした。一応、高校生まで教えられる免許も取ったんですよ。ただ、教えるより自分が楽しみたいので、教えはしませんけれど」
好きなこと、やりがいのあることには没頭するタイプのナヤニさん。だが、その気質が「がんばりすぎて自分自身のバランスを崩してしまう」事態につながったこともある。
「最初は週2日や3日というペースだった教職員の仕事が、週5日になったんです。やりがいもありましたが、子供も小さい中で頑張っているうち、だんだんと心身の調子を崩してしまって。『私はここでがんばるんだ!』と思っていたから、自分の限界以上に仕事があっても『NO』と言えなかったんですね。しかも、その頃の自分は、弱いところや困った顔を人に見せることができなかったんです。『こんなことを言ったらバカにされるんじゃないか』ということを常に気にしていたので……。
気がつけば子供や夫にあたるようになっていたりして、『こんな自分は嫌だ』という気持ちでいっぱいでした。自分は生きている価値がないんじゃないか。今運転しているこの車で、そのまま突っ込んでしまえば楽になれるんじゃないか……と。精神科でもらった薬も合わなくて、身体中に痣ができたりして。やっと誰かに相談しても、その人が自分のためを思って『こうしたほうがいいんじゃない?』と言ってくれたことが、まるで自分のことを責めたり、否定しているように聞こえたり。もう、どん底でした。
そんな時に、スリランカの母が『帰ってきなさい』と言ってくれたんです」
日本に帰らないつもりで乗った
スリランカ行きの飛行機
母からの、当たり前の優しさに聞こえる言葉。しかし、ナヤニさんにとって、それはあまりにも意外なものだった。
「私が育った家は、代々続くアーユルヴェーダの医師の家系でした。インドほどではないけど、スリランカにも地方に行けば行くほどカースト制度(*)は残っていて、『あの家に行ってはいけない』とか『あの家の子と同じ水を飲んではいけない』といった暗黙のルールがありました。私と妹はそういうのが大嫌いで、『学校ではみんな同じように勉強してるし、なんでいけないの』と思って気にせずみんなと仲良くしていたんですけど、そうすると私たちが家に帰る前にそれがどこからか母親の耳に入っていて、『何をやっているんだ!家に泥を塗る気か』と言われたりしましたね」
日本ではヨガやオイルマッサージといった程度のイメージが大半のアーユルヴェーダだが、本来は「生命科学」を意味し、5000年ほど続くスリランカの立派な医療体系。その伝統的な家系の名誉を第一に重んじる母は、ナヤニさんにとって長らく反発の対象だったのだ。
「何をするにも親や親戚に許可を取らないといけないし、そういう環境が嫌で嫌で。いつも『ここから出るしかないんだ』と思っていましたから、夫と出会った時は、愛とか恋とかの前に『出ることができる!』という思いが爆発して。まだ学生で、弁護士になりたいと思って勉強していたんですが、将来の夢を全て捨ててでも、違う世界に行きたいという気持ちが勝ったんですね。
なので、スリランカを出るときも当然のように反対するのを押して出てきた私にとって、『帰ってきなさい』という母の言葉は驚きでした。私の国では、結婚した女性が一人で里帰りをするとか、離婚して帰るということは、まだあまりよく思われないんです。そういうものを気にするタイプの母が、『もう、全ていいから。あなたの命が何より大切なんだから、帰ってきなさい』と。それで、『ああ、もう帰ろう』と思いました。日本の仕事や暮らしのことも一度、すべて忘れて、帰ろうと」
仕事も辞め、「ママを一人で行かせられない」と同行してくれた娘さんと二人、スリランカ行きの便に乗り込んだナヤニさん。その時は、再び日本に戻ろうとは思っていなかった。
ただそこにある自然に触れて覚えた
「もとの自分に戻る」感覚
「スリランカでは何か特別なことをするでもなく、普通に生活していました。ご飯を食べたり、自然に触れたり、お寺に行ったり、親戚や友達に会ったり。そうしているうちに、少しずつ気持ちの余裕ができてきて、自分を見つめ直すことができたんです。
それまでは自分の悪いところばかりが見えていたし、気づけば夫のことも悪いことばかり見てしまって、『帰ってこなければいいのにな』なんて思ったこともありました。だけど、自分のいいところを思い出すにつれて、『あ、あの人だってこんないいところがあったよね』と思えるようになって。それで、『やっぱり帰ろうかな』と思いました。スリランカにいたのは2〜3週間でしたね」
日本に帰国はしたものの、ナヤニさんはまだ万全な状態ではなかった。子供たちと関わるのは大好きだったので前と同じような教職員の仕事に再び就こうとはしたものの、いざ面接となると過去のストレスなども思い出され、耳鳴りを起こす日々。再就職の道は厳しかった。
「『やっぱり、私に日本での暮らしは無理なのかもしれない』と思い始めた時に、今のお店の近くにあるハーブ・スクール「カモミール」の代表の方に『ナヤニさん、あなたが育ってきたスリランカのアーユルヴェーダの考え方を紹介する仕事をすれば?』と言われたんです。『日本には、あなたみたいな悩みを抱えている人がたくさんいる。我慢したり、体を壊したり。そういう人を癒して、救ってあげてほしい』と」
その言葉をきっかけに、それまで家で友人知人に振る舞うだけだった故郷の料理を仕事にすることを考えた。いきなり店舗を始めるのは不安があるので、まずは料理教室を開いたり、シェアハウスやイベント会場でポップアップ的に食事を振舞ったり。そうこうしているうちにファンもつき、自信がついたナヤニさんは晴れて2017年、「あ〜ゆぼ〜わん」を開店した。開店の事業計画や資金の相談には、長岡の若者しごと機構の助けも大いに借りたという。
「長岡には、何か始めたいと思う人をサポートしてくれる仕組みもあり、力を貸してくれる人もたくさんいる。このまちに住んでよかったなと思いました」
「スリランカにいた頃は、生活の中に『自然と調和しながら、自分のバランスを整えて生きる』というアーユルヴェーダの要素が当然のものとして存在していたんですよね。起きたら瞑想したり、お白湯を飲んだり……という習慣の中で育ったので、そういうのは当たり前に周りにあるものだと思っていたし、その大切さを意識することすらなかった。
でも、一度日本からスリランカに帰った時に、忙しい生活の中で忘れてしまっていた自然の風や光、花や空の美しさを改めて感じたことで、自然とともにあることの大切さに気づきました。自然って、人間の目なんか何も気にせず、ただそこにあるんですよね。誰かの目を気にしているのは人間だけ。それに気づくことで、少しずつ『もとの自分に戻る』感覚があったんです。
そういう私の発見を、日本の多くの人に知ってほしいなと思います。だから、私は今はここで料理だけをしていますけれど、将来的には『幸せに長生きするために体と心とマインドのバランスを整える』という、アーユルヴェーダの考え方をトータルで教えたり、体験できる場所を作りたいですね」
「こうでないといけない」
日本社会を縛りつける呪い
新型コロナウイルス感染症が広まるまでは、お店のお客さんを連れてスリランカツアーに行くこともあったというナヤニさん。そんな中で聞いたお客さんの言葉が気づきにもなったという。
「スリランカを一緒に回っている中で、『なんだか昔の日本みたい』と言う方がいたんです。ああそうか、と思って。自然と一緒に暮らす生活、物よりも心の豊かさを大事にすることなど、日本の古い文化との共通点は確かに多いなと思います。今の日本は、そういうことを忘れてスピードの速さや、インスタントな結果ばかり追っている。それはスリランカも同じで、だんだん時間に追われる社会になっていますが、アーユルヴェーダはそういう発想の逆なんです。何か悪いことがあったら単に『じゃあ、その症状を治す薬を出しましょう』というのではなく、その人がどんな人生を送ってきたか、どういう風に暮らしてきたかというところまでを掘り下げながら、ゆっくりとその人に本当に合う方法を探していく。時間はかかっても、その人をしっかり見ていくんです。それによって、その人がもともとどんな生き方をしたかったか、何を気持ちいいと思っていたのか、自分で気づくこともあったりして、いい状態になっていく。そういう助けになる場所が、今の日本には必要なんだと思います」
多くのことが経済効率性のみに基づいて動き、人の営みが誰かの決めた基準で図られる一方に見える社会の中で、私たちは「幸せ」を見失いつつあるのかもしれない。そうナヤニさんは語る。
「一番大切なのは、ありのままの自分でいることだと思うんです。私も昔は周りのことばかり気にして、いい時計とか、ブランドの服とか、そういうものが欲しいと思っていました。でも、それは誰かの決めた『よさ』の基準なんですよね。そういうものを追うよりも、今は自然に触れるとか、お客様と話をしてその笑顔に触れるとか、『おいしかった。ありがとう』と言ってもらえることが幸せです。毎日穏やかに暮らして、好きな人たちと一緒に生きられる。それだけで十分。大変なことじゃないんですよね。
人はよく『幸せになりたい』というけれど、それは『なる』ものじゃなくて、きっと周りの小さなことに『感じる』ものなんだろうなと思うんです。ただ、忙しすぎて、周りの影響を受けすぎる生活をしていると、身近なものの大切さを『感じる』暇もなく通り過ぎてしまうのかなと。
あとは、自分を決めつけないことも大事ですよね。私だって、いつもアーユルヴェーダの食生活かと言われたら、全然そんなことない(笑)。甘いものも大好きですし、いつもこんなに真面目なことばかり言ってるわけでもないです。ブランドの服だって、時には必要だし。『自分はこうでないといけない』と決め込むのではなくて、どんな風にでもなれるんだと思っているほうが楽だと思います」
「こうでないといけない」。私たちは、常にその呪いに縛られているのではないだろうか。
「日本の人たちは、周りを気にしすぎだと思います。私は嫌なことがあるとすぐに顔に出るタイプで、娘には『ママ、もうちょっと大人になれば?』と言われたりもするんですけど(笑)、でも思ってないことは言えないし、これが私なのだから、それを隠す必要なんてない。みんな、それでいいと思うんです。子供が教室で周りの様子を窺いながら手を挙げるのをよく見ましたけれど、別にいいじゃないですか、間違えたって。その答えはその人の考えから出てきたもので、その考えをみんなが知ることも大事でしょう。最初から全員が同じ正解を出す必要なんてないですよ。いろんな人がいて当たり前なんです。『自分と違う人がいるのは悪いことだ』なんて考えは、『自分が周りと違っていてはいけない』になって、自分を苦しめるだけですよ。
人は一人で生まれて、亡くなる時も何も持たずに自然に還っていくわけじゃないですか。生きている間だけ、なんでそんなに無理をしなければいけないのか。もっと、気楽にやれればいいのに。そう思います」
「正解」なんかじゃなくていい、
あなたの声を聞かせてほしい
少し迷ったもののナヤニさんに聞かなければならないと思ったのは、2021年3月、名古屋の入国管理局で亡くなったスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんのことだ。死亡原因の開示を求める遺族には、入管によるあまりに非人道的な扱いの映像と、ほとんどすべてが黒塗りの文書が渡された。「他者」を執拗に排除するような振る舞いがまかり通る社会の空気は、先ほどから話に出てくる『自分と違う人がいるのは悪いことだ』という呪いと、表裏一体に見える。
「私が暮らしている国が、あんなことが起こる国であってほしくはないです。もともと、スリランカは日本と縁の深い国。第二次世界大戦が終わったとき、スリランカの演説が日本を救ったことは、スリランカではみんなが教わることですが、日本では誰も知らないですよね。名古屋入管で働いてた人達もこの事を知らなかったでしょう。知っていたら、あんなにひどい事をして命を奪わないのではないですか? 日本は”縁”を大切にする国でありながら、こんな大切なことを教えないことも、教科書に載せていないことも残念に思っています」
1951年、第二次世界大戦の講和条件を決めるサンフランシスコ講和会議において、日本は旧ソ連などから賠償請求権を主張されていた。それを救ったのがのちのセイロン(現スリランカ)大統領、ジャヤワルデネの演説。「憎悪は憎悪によってやまず、愛によってのみやむ」とのブッダの言葉を引用した訴えは聴衆の心を動かし、対日賠償の放棄が決定した。このときに巨額の賠償金を背負っていたら、その後の日本の奇跡の経済発展はなかったはずだ。私たちはこんな歴史すら教えられず、“自分たち”の力だけで現在を築いたと思い込んでこなかっただろうか。その果てに名古屋入管の事件のようなことが起こり、私たちは「“自分たち“の輪の中からはじかれてはいけない」と、ますます思い込まされ、自分自身の可能性を縛っていく。この呪いは、どうすれば解けるのだろうか。
「なぜ“自分たち”と違う人がいると不安なのか、考えてほしい。もっと『自分が自分であればいいんだ』と思える人が増えれば、違う人を恐れて排除したりする必要もなくなると思うんです。そのためにはもっと、みんなが自分のこと、自分の歴史を話せばいいと思います。つらいことでも、世の中に対する意見でも、それは自分の経験の中から生まれた言葉なのだから、周りの目を気にして『なかったこと』にしてしまうのは健康的じゃないと思います。本来は、みんな違っているのが当たり前でしょう。
私はSNSなんかでも自分の意見をハッキリ言ったりするほうですが、特にシリアスなことだと、日本の知り合いからはあまり『いいね』がつかない(笑)。よかれと思って『客商売であまりハッキリ物を言わないほうがいいよ』と忠告してくださる方もいるんですが、でも、声を出すことは『私はここにいる』と言うのと同じことですから。
自分が困っていることがあるなら、なおさらそうですね。昔の私みたいに周りの目を気にして我慢してしまっていると、どんどん自分を孤独にしてしまう。それを口に出してみたら、意外と周りに助けてくれる人はたくさんいるはず。『自己責任だ』なんて言う人もいるかもしれませんけど、絶対にそうじゃないですから。みんな言っていいんですよ」
自らの経験から、「困ったことがある人は、とにかく誰かに話してほしい」というナヤニさん。新型コロナウイルス感染症によって飲食店が厳しい戦いを強いられる中でも、その一心で店を守り抜いてきた。
「そういうお客さんとお話ができる場を作りたくて、お店をやっているんです。お客さんの中にも、ただ料理を食べるだけじゃなくて『ナヤニさんに会いにきました』という方が来て、帰り際に『ああ、話せてよかった』と言ってくれる。新型コロナの影響で売り上げも減ってしまい『どうしよう……』と思うこともありましたけど、例えばキッチンカーを導入するみたいな選択肢はなかった。ゆっくり腰かけながら相手の顔を見て、安心して話すことができる場所が、私たちにはやっぱり必要なんです。お客さんが元気になってくれて、私も元気をもらえる。悩んでいた昔の自分にもこういう道があったんだから、今困っている人も、きっとなんとかなると思うんです。無責任に聞こえるかもしれませんけど、自分を楽にしてあげられれば、本当になんとかなるから(笑)。正解になんかたどり着かなくていいんです。今いる場所がダメだと思ったら、自分を出せるところに行って、自分でいてほしい。普通に笑っていてほしいです」
正解なんか出さなくていい、自分でいてほしい。その思いの底には、アーユルヴェーダのこんな考え方がある。
「みんなが雑草と思っているものでも、アーユルヴェーダではすごく体にいいものとして使ったりするんです。この世には無駄なもの、役に立たない存在なんて何一つ、誰一人ない。そういう考え方を、アーユルヴェーダを通じてもっと広めていきたいですね」
「生きやすさ」とはどういうことか。それをまず自分に、そして周りの人や社会にも広げていくことが、私たちにできるのだろうか。自らの経験を通して語るナヤニさんの笑顔は、その手がかりを教えてくれる。忙しい毎日の中、ふと自分を見失いそうなときは、この店を訪れてみてはいかがだろうか。
Text:安東嵩史 / Photo: 八木あゆみ
●Information
スリランカアーユルヴェーダ家庭料理店「あ〜ゆぼ〜わん」
[住所]新潟県長岡市北山3-34-1
[電話番号]070-4447-2455
[営業時間]ランチ11:30〜15:00
ディナー17:30~20:30(木~日、前日までに予約)
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