すべての人に居場所と生きがいを。「UNE」が創出する包摂型コミュニティの新しい風景【前編】

長引くコロナ禍と戦争、生活を直撃する物価高など、気分が沈みがちで希望が見出しにくい昨今。助けを必要とする人も急増する中、それぞれに国と自治体の支援がくまなく行き渡ることが理想ではありますが、そこに辿り着けない、セーフティネットからこぼれ落ちてしまう人たちもいます。その存在をいち早く発見して救い上げ、行政と連携してしっかり支えていくために、地域の中での細やかな目配り・心配りは欠かせません。
新潟県長岡市栃尾地域で活動する「UNE(うね=ユニバーサル農園芸えちご)」は、障害のある人も、生活に困窮している人も、高齢者も、すべての人が自分らしく暮らせるユニバーサルな社会をつくり、持続可能な発展を目指す認定NPO法人です。活動の主軸となるのは「農福連携」=障害者が活躍する場を創出する農園芸ですが、農家レストラン「うねごはん」と農家民宿の運営、地域に自生するクロモジを活用した製品や自家製米を使用した「どぶろく」の製造販売、通院・買い物の送迎サービス、雪下ろし、キッチンカーでのイベント出店など、展開する事業は多岐にわたります。
活動の一端に触れるため、拠点の地域支援活動センター「UNEHAUS(ウネハウス)」を訪ねました。前後編に分け、前編は「うねごはん」とUNE代表理事の家老洋(かろう・ひろし)さんをフィーチャー、後編では、UNEの事業を担う齋藤喜一さんと納谷(なや)光太郎さんがそれぞれ活躍する現場でお話を伺います。
常連さんも新顔さんも、誰でも大歓迎
親戚の大宴会さながら和気藹々の食卓
「うねごはん」は平日のお昼どき、毎日12時15分に始まります。元々はUNEのスタッフと利用者のための給食として始まったものですが、2012年に保健所の飲食店営業許可を取得して「農家レストラン」に認可されました。朝9時までに予約をすれば誰でも一緒に食べられるということで、11月のある日、予約をして栃尾の一之貝(いちのかい)集落へ。この日は月に一度の「誕生会」開催日で、11月生まれの人を「うねごはん」の席でお祝いする特別企画があるそうです。
JR長岡駅東口から車で20分ほど走り、オレンジ色に塗られた外壁が中山間地域の中で際立つ一軒家に到着。ここがUNEHAUSです。

空き家をリノベーションしたUNEHAUS。「HAUS」はドイツ語で「家」という意味。イベントや実習に参加したり、活動現場の視察や取材をしたり、この家を目指して国内外からたくさんの人がやって来ます。
「はい、みなさん座ってください。じゃあ、いただきます」と声をかけるのは、代表の家老洋さん。全員で「いただきます」と手を合わせ、賑やかなランチタイムが始まりました。

「はい、どうぞ。たくさん取ってね」と、手作りの漬物や梅干しも回ってきました。おいしいものを分かち合えば、初対面の人とも話がはずみます。

中央が家老さん。お隣は、長岡市の姉妹都市、ドイツのトリアーからやって来たばかりの実習生エリアスさんです。高校時代にも長岡に来たことがあり、日本語も箸さばきもお手のもの。
「私は栃尾なんだけど、別の集落に住んでいて、ここが忙しいときだけ手伝いに来るの。おしゃべりしながら笹を数えたり、ヨモギやクロモジを採りに行ったり、楽しいですね。ごはんもよく食べに来るんですよ。送迎もしてくれるし、みんなで食べるとおいしいから」

「はい、どうぞ」。ごはんは減農薬で栽培したUNEの棚田米です。汁物とごはんはおかわりできるので働き盛りの男性も満腹に。
「昨日65歳になりました。数えてみたら今日で生まれて23,742日目。私も高齢者の仲間入りです。命をつないでくれた両親と先祖、仕事をさせてくれている家族、UNEに集まってくれるみなさんに感謝する日だなと感じます。毎月こうやって誕生会をやっていて、誕生会じゃない日も『うねごはん』は毎日ありますから、ぜひ楽しく過ごしてくださいね」
最後に『Happy Birthday to You』をみんなで合唱し、お開きになりました。

家老さんの紹介でエリアスさんもご挨拶。「こんにちは。エリアスと申します。ドイツ出身、19歳です。日本語を勉強したいので、よろしくお願いします」。これから3ヶ月間、UNEで農業実習をするそうです。
「オープン当初は『こんな雪深いところで農業を軸にした福祉施設なんて』と言われましたが、遊びに来てくれた地元のばあちゃんたちが、昼食を交代で作ってくれるようになりました。有償ボランティアで2時間分の最低賃金を支払っています。うちには無償のボランティアはいませんが、お金は要らないよというばあちゃんたちがいて、笹やヨモギの季節には毎日のように採りに行ってくれたり、販売する赤飯の盛り付けを手伝ってくれたり。声をかけると『生きがいだから、楽しいから』と言って来てくれます。そういう人たちには工賃として1時間200円、1日1000円を渡しています。ボランティアが高齢化していて、そろそろ辞めようかなと言っている人もいるので、後継者を募集中です」

食後のひととき、入り口で配布された歌詞カードを見ながら合唱が始まりました。ハーモニカの伴奏で歌っているのは唱歌「里の秋」「紅葉」など。
「利用者さんとボランティアさんは毎朝8時30分に長岡駅で集合、夕方は16時30分に駅で解散。ここまでワゴン車で送迎をしていて、障害のある人も生活保護の人も高齢の人も、みんな一緒にやって来ます。生活保護の受給者は6人いますが、怠けていたわけじゃない。病気や障害があって、そうなった人たちです。毎日のように来て農作業をしたり、ばあちゃんの家に行って雪下ろしをしたり、私の右腕のようになった人もいて大活躍してくれています。一人暮らしで孤立しがちな人たちがここへ来て、みんなでワイワイやりながら仕事をして、うまいものを食べて、心も体も健康になって、というのが私のひとつの理想。『一之貝のUNEHAUSは、ちょっと違う世界みたいだな』と、そんな感覚でたくさんの人に利用してほしいですね」
農業土木を学び、海外に憧れた学生時代
人望厚いリーダー・家老さんの半生
栃尾とはゆかりのなかった家老さんが、なぜここにUNEHAUSをオープンすることになったのか。UNE設立に至るお話を学生時代まで遡って伺いました。
長岡市中沢町で生まれ、地元の栖吉小・中学校から長岡高校を経て宇都宮大学に進学した家老さん。農業土木を専攻し、青年海外協力隊で活躍することを夢見ていたそうです。

UNE代表理事の家老洋さん。爽やかな色合いのUNEHAUSロゴ入り法被がお似合いです。

のんびりしたムードが漂う晩秋の一之貝集落。UNEHAUSがある栃尾は長岡市内でも屈指の豪雪地帯で、この界隈も冬は銀世界に一変します。
行き場を失った家老さんに救いの手を差し伸べたのは大学の恩師でした。
「『そんなに海外がいいなら、国際農友会(現在の公益社団法人国際農業者交流協会)に行って勉強しろ。欧州支部がドイツにあるから』と勧めてくれたんです。そして、最初からドイツで働くつもりで農友会に就職して、まずはデュッセルドルフから車で1時間ほどのオランダ国境に近い町、ケンペンの野菜農家で農業実習をしました。イタリア、ポーランド、マレーシア、ベトナムなど、世界中から実習生が集まるインターナショナルな環境で、このときは1年間だけですが、私にとって大きな経験になりました」

「今日の『うねごはん』は予約がいっぱいでした。私の誕生月だから、たくさん来てくれたのかな」と笑う家老さん。
ドイツ駐在7年、長岡市議として12年
中越地震で芽生えた弱者への眼差し
「ちょうど娘が生まれるタイミングだったので、最初は単身赴任で、半年後に妻が生後4ヶ月の娘と一緒にやって来て、ドイツで長男と次男も生まれました。私の仕事は“現地の親父”というか、農業実習にやって来る日本の若者たちの面倒を見ることでしたが、1989年にベルリンの壁が崩壊し、ドイツに注目が集まるタイミングだったから、農業と関係ない人たちも日本から視察に訪れて、ツアーコンダクターのようにあちこちお連れしてね。福祉施設に行ったり、ドイツの介護保険についてみんなで学んだり、大いに勉強になりましたよ。見知らぬ土地で頑張ってくれた妻と、周りの人たちにも助けられ、7年間の任期を全うすることができました」
駐在中に少しずつ協会との間に溝ができ、農業実習に関する考え方に齟齬が生まれたこと、また、長岡市議の地盤を継がせたいと熱望していた父からの呼びかけもあり、任期を終えた家老さんは協会を辞め、家族とともに長岡に帰郷。そして翌年、市議会議員選挙に出馬することになりました。

畑で収穫した大根が玄関の脇に積まれていました。奥には長ネギ、白菜も。「うねごはん」の食材でもあり、UNEHAUSで販売もされています。
設立に当たり、なぜ障害者のための農園芸を主軸にしたのか。それは家老さんが市議だった2004年10月23日に発生した中越地震がきっかけでした。
「その少し前に神戸で防災について学び、2004年8月に地元の栖吉小学校で『防災キャンプ』をしたんです。みんなで防災倉庫の中を確認し、消防団を呼んで消防訓練をして。栖吉川や蒼柴神社で石や枯れ木を拾って炊き出しをして、体育館に大きなブルーシートを張って寝泊まりしてね。中越地震はその2ヶ月後だったから、避難所となった小中学校でキャンプ経験を生かすことができました。一時は1500人も避難していたので、私は3日間ずっと避難所で働いて、少し落ち着いたころ外に出てみたら、避難所に来られない人たちの存在に気付いたんです。障害や病気があって体育館では眠れない人、介護が必要で動けない人など、いわゆる社会的弱者と呼ばれる人たちは避難することができず、停電で電気も水道も止まっていて支援物資も届かない自宅で過ごしていました。『自分たちはいいです』という諦めのようなものも感じて。私は『市民のために』と避難所を立ち上げたけど、それは誰のためだったのかと。私を必要としている人たちがいる、本当に困っている人たちを助けたいと、そのとき強く思ったんです」

信濃川河川敷の「福祉市民体験農園 Oasis R」にて。右端が家老さん。写真提供:認定NPO法人UNE
「農園の近くにある障害者支援施設『ワークセンター千秋』の利用者たちが、楽しく農作業をしながら、できればそれが仕事として成り立つように、というのがスタートです。障害のある子どもを持つ親御さんたちと、『親亡き後も幸せに生活できるような環境づくりをしよう!』と手を握り合ってね。隔週で種まきなどをやっていて、みんなが『はら減った〜』と言うから、私がそこでカレーや豚汁を作り始めたんです、キャンプみたいに。お昼を自分たちで作って食べようというのは、そのときからですね。だけど、雨の日や真冬は活動ができないから、きちんとした施設がほしいと思いました。市議としてあちこちで空き家を見ていて、長岡市に掛け合って『空き家バンク』を設立してもらったので、それを利用してこの家を見つけ、栃尾での『空き家バンク』活用第1号として購入したんです。過疎化・高齢化が進んでいる地域で新しい活動を始めたいと思ったこと、事業を支援してくれる人たちに出会えたことも、ここに決めた理由です」
2011年4月にUNEHAUSをオープンし、NPO法人UNEを設立。Oasis Rでの野菜作りに加え、2012年から一之貝集落の棚田で稲作も開始し、UNEは2013年にNPO法人として新潟県初の認定農業者となりました。家老さんは市議を3期12年で辞め、本格的にUNEが始動。あらゆる属性の垣根を取り払い、すべての人に居場所をというその理念が、みんなで大きな食卓を囲む「うねごはん」につながります。

積雪4mになることもある栃尾の真冬の風景。UNEには雪下ろしの依頼も多く入ってきますが、緊急度の高い要援護世帯の家から取り掛かります。写真提供:認定NPO法人UNE
バイオ肥料を活用した農業で障害者雇用をオープンに。「夢ガーデン」に見る循環と包摂の未来
一之貝に続く「二之貝」「三之貝」を!
UNEを次世代にバトンタッチするために
この理想郷のような場所と活動はどうなっていくのか。家老さんがこれからやりたいことは? 今後のプランについて伺います。
「いま生活保護の人が6人、障害のある人が5人いますが、UNEを通じて一緒に幸せになれる人が1人でも増えたらと願っています。政治家は世界のため社会のためと大きなことを言うけど、私は1人でも2人でも喜ぶ人のために仕事をするのがモットー。そこは最初からぶれていません。縁もゆかりもない一之貝で農業を始めて、10人雇用していることは自信になっています。若い人にここで学んでもらって、暖簾分けじゃないけど、UNEHAUSのようなもの、これ以上のものを、その地域特性に合った一之貝に続く『二之貝』『三之貝』『四之貝』をつくってもらえたら。そのための人材育成も私の夢なんです。私は65歳になりましたが、うちは定年制なので70歳になったらみんな辞めます。正直な話、私もやりたいことがあるんで。実は、またドイツに行って研究をしたくて。なにを研究するか、まだわかりませんけどね(笑)。あと5年で若い人たちを育てながら、この地域を守っていけたらと思っています」
▼後編へ続きます
すべての人に居場所と生きがいを。「UNE」が創出する包摂型コミュニティの新しい風景【後編】
Text: 松丸亜希子 / Photo: 池戸煕邦
●インフォメーション
UNE(うね)
[住所]新潟県長岡市一之貝869
[電話番号]0258-86-8121
[e-mail]une_aze@yahoo.co.jp
[URL]https://www.une-aze.com
[Facebook]https://www.facebook.com/unehasuichinokai