中山間地に移住して15年。震災復興に伴走したハンドメイド作家・わきたたえこさんの「地域に生きる」手仕事
新潟県長岡市の南東部に位置する川口(旧川口町)は、信濃川と魚野川が合流する河川水運の拠点として、また三国街道の宿場町として繁栄した歴史のある地域です。この地を2004年10月23日に襲った中越地震は震度7を記録し、甚大な被害をもたらしました。これをきっかけに長く住んだ土地を離れる人もおり、少子高齢化の傾向もあって地域人口は減少を続けています。
震災後、愛知県一宮市から西川口に単身で移住したわきたたえこさんは、復興支援の仕事に携わると同時に、針と糸、あるいはミシンを駆使し、ブローチ、手袋、バッグなどの小物から、セーター、ワンピース、ジャケットなどの衣服まで、ハンドメイドの作品を手掛けてきました。どのような経緯で移住し、川口での日々を過ごしてきたのでしょう。わきたさんが2022年3月にオープンしたアトリエ「創庵 六花(そうあんりっか)」でお話を伺いました。
友人の誘いで訪れた川口が
疲れを癒やし、心安らぐ場所に
わきたさんの住居兼アトリエは、JR越後川口駅から車で4分ほど。かつての北魚沼郡川口町、2010年3月31日に長岡市と合併した川口地域の、見晴らしのいい高台にあります。
わきたさんは愛知県時代から長らく「アトリエINKAROSE(インカローズ)」という屋号で手仕事をしてきました。西川口の自宅の一室をアトリエ兼ショップ「創庵 六花」として設えたのは1年前の春のこと。「雪の結晶を意味する『六花(りっか)』がこの場所にぴったりだと思って」と微笑みます。
わきたさんが生まれ育ったのは、毛織物の産地として知られる愛知県一宮市。ご自身の実家も撚糸(ねんし)業を営んでいたそうです。
「撚糸というのは、糸によりをかける仕事です。家のあちこちに残糸などがたくさんあって、幼いころからそれで遊んでたんですよ。4歳くらいのころ、母が私に針と糸を持たせて『ボタン付けはあなたの仕事ね』って。母も洋裁好きでしたし、英才教育ですね(笑)」
身近にあった針と糸を使い、遊びの延長線上でハンドメイドの世界にするりと入ったわきたさん。小学校で家庭科の授業が始まるころには、すでに工業用ミシンを使いこなしていたのだとか。興味の赴くまま試行錯誤を繰り返し、高校は被服科に進んで、さまざまな技術を身に付けました。
「高校時代から、友人のセーターを編んでアルバイトしてました。友人が編み物の本を持ってきて『これ編んで』『わかった〜』って。3000円くらいで売ってましたね。私は(編む)手が早いので、月1万円以上にはなっていたかな。それを生業にするのは難しいことなんですけどね」
高校卒業後は地元の染色整理会社で事務の仕事をしながら、自分の好きなものや友人に頼まれたものを作り続けていたそうです。
わきたさんが初めて川口を訪れたのは30年ほど前のことでした。
「西川口で暮らしていた友人がいたんです。最初は友人の友人だったその人とすっかり仲良くなって、地域の人たちも温かく接してくれるので、愛知での仕事に疲れると逃げるように遊びに来ていました」
たびたび川口に通い、次第に地域の人々とも関わるようになりましたが、家族の看病などでしばらく愛知を離れられない期間もありました。そんな中で、川口を震源とする中越地震が発生したのです。
「駆けつけたかったけど、家の事情で出かけられなくて。情報を必要としていた友人のために、新聞を読んで情報をかき集めて、携帯で文字数いっぱいのメールを友人に送り続けました」
中越地震から3年、川口に単身移住し
地域復興支援員として集落の中へ
中越地震から1年が経ったころ、わきたさんはようやく川口を再訪することができました。まだまだ復興の途上でしたが、久しぶりに友人や地域の人たちとの再会が叶い、ホッとしたそうです。
やがて転機が訪れ、わきたさんは愛知からの移住を考え始めます。
「闘病していた両親がばたばたと他界したんです。以前から『私はいつか山に住みたい。ふたりが亡くなったら、もう愛知には残らないよ』と宣言していて。移住先の候補は奈良県と長野県、そしてここでした。いろいろ考えましたが、それまで10年以上遊びに来ていた川口には友人知人もいて、スーパーや診療所など土地のこともわかっている。雪があるときに来たこともあるし、雪国生活には不便な点もあることを覚悟の上で川口にしようと決めました。なかでも、いちばんの覚悟は雪道の運転でしたね」
思い立ったら即行動。両親の見送りと身辺整理を済ませ、わきたさんは2008年1月に川口に移り住みました。
「川口の友人に連絡して『あなたの近くに住みたいから家を探して!』と言って、この家を見つけました。仕事を決めずに移住しちゃったんですよね。たまたま知人から『地域復興支援制度というものがあるよ』と聞いて、とにかくここで生活していかないといけないから、面接で『なんでも一生懸命させてもらいます!』と言って採用してもらいました」
「長岡市との合併(2010年)前は川口町地域復興支援センター、合併後は公益財団法人山の暮らし再生機構に所属していました。支援員の仕事は地域ごとにいろいろですが、川口の場合は地域の集落の再生で、私の担当は木沢集落でした」
家から木沢集落までは、車で10分ほど。集落に通って住民の声を聞き、今後の復興について話し合う。それが任務でしたが、一筋縄ではいかなかったのだとか。
「まずパソコンが使えないし、人の名前を覚えないと仕事にならないのに覚えるのが苦手で……。申請書? 集落づくり? なんのことやら。まったく畑違いの仕事で、365日のうち360日ぐらい木沢の夢を見るぐらい大変でした。すべてゼロから始めたので、ツルツルの脳みそがしわしわになるくらい使いましたよ(笑)。本当にいろいろなことを木沢の人たちと考えて、やってみて、すっかり仲間というか、同志ですね」
戸惑いや悩みを抱えつつ集落の人たちと手を取り合い、支援活動に奮闘する日々の中でも、わきたさんは手仕事に没頭していました。
「ストレス解消ですよね。どれだけ体力を使って、どれだけ帰りが遅くなっても、とりあえず手を動かしていないと落ち着かない。頭が沈静化できないので、とにかくずっと作っていました。愛知のときもそうだったし、ハードな仕事があっても作り続ける生活には慣れてますから」
震災復興と地域活性への住民の情熱に背中を押され、復興支援員として共に木沢の未来を考え、わきたさんは5年の任期を終えました。後ろ髪を引かれつつ、集落の支援は次のメンバーにバトンタッチすることに。
「木沢の成長のためには私がずっと居続けてはいけないと思ったし、外に出てやれる支援もあると思いました。支援員は大変だったけど、素晴らしい仕事でしたね。中越地震の被災地には全国から支援が入りましたが、木沢集落は学生ボランティアをたくさん受け入れていて。支援員を辞めた後は長岡大学で学生ボランティアを送り出すコーディネーターを3年ほど務めました。NPOや地域の方々、施設などを訪問して御用聞きをして、介護施設や地域活動の手伝い、子どもの見守りなど、要請のあった仕事に学生が応募するという。おとなしい学生が多かったけど、たくさんの子たちを巻き込みましたよ。学生のお母さんみたいなものでした(笑)」
このころから各地のイベントに「アトリエINKAROSE」として出店し、わきたさんは作品の対面販売を始めました。長岡市内では中心部を流れる柿川近くにあるシェアスペース「ひらく」で展示をしたり、マーケットイベント「かきがわひらき」に出店したり、作品を通じて人と出会う機会を増やしています。
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短期的な便利さよりも、長く続くものを。
この場所の暮らしがつくる手仕事のかたち
2017年秋、わきたさんは5年間通い詰めた木沢集落で「木沢WEEK」という試みをはじめました。「アトリエINKAROSE」のニットや小物をはじめ、小国和紙の小物やフード&ドリンクの販売、ものづくりのワークショップなどを行うイベントです。
「以前は年2回やっていて、コロナ禍の間は中止。昨年からようやく再開しました。いまは年1回、今年も6月に開催します。山間の集落である木沢は放っておいて人が来る場所ではなく、人集めが大変なんです。それでも木沢で開催したかったのは、5年にわたり関わって愛着や未練があるというか、木沢のみなさんに恩返しをしたいと思ったから。支援員の仕事が終わった後も、木沢の人たちとの関係はずっと、細く長く続いています」
「どこの地方も同様だと思いますが、木沢も高齢化が進み、世帯数も人口も減っています。そういう状況もあるから、ここで交流する人を少しでも増やせたらいいなと思って。木沢の魅力を知ってほしいとか、木沢の一助になればというのは私のエゴでしかないけど、出店者も来場する人も、ゆるゆると気軽に楽しんでもらえたら」
年1回の「木沢WEEK」のほか、わきたさんは「創庵 六花」で手芸教室を開き、地域の人に手仕事の楽しさを伝えています。その中で、地域のみんなでつくる新たなライフワークのアイデアも生まれてきました。
「こんなものが作ってみたいとか、ここがわからないとか、使いたい素材を持ってきてもらえたら、みなさんがイメージする手芸の8割は教えられると思います。特殊なものは除いて、ここには大抵の材料や道具が揃ってますしね。東日本大震災で被災した宮城県の知人が地元のお母さんたちと毛糸で編んだエコたわしを作り、それが生業にもなっているのを見て、そのスキームをここでもやれないかなと支援員時代から考えていました。そんな中で、ご当地キャラクター『かわぐっち』を生かせないかというアイデアが出てきたんです」
「『かわぐっち』をフェルトで作って売ろうということになり、私がデザインして見本を作って、作り方も書いて。これならミシンがなくても手縫いで簡単に作れますから。そうしたら『やってみたい!』という人たちが出てきて。わいわい楽しく話しながら、『こういうのもできるんじゃない?』などと新しいアイデアが生まれています。観光協会のイベントで販売し、地元のホテルにも置いてもらっていますが、高速道路のサービスエリアにも置いてもらいたいね、などと販路を開拓中です。編み物ができる人には編みぐるみも作ってもらっていて、『スマホを買い替えるお金になったわ〜』と喜ぶ人もいたし、子育て中のママさんたちのお小遣いにはなってるかなと。根を詰めると嫌になっちゃうから、楽しい範囲で続けられたらいいですね」
セーターの綻びを直したり、リメイクしたり、わきたさんはものを大事に使うことにもこだわっています。
「毛糸製品は、解いて糸にすれば別のものに生まれ変わるんです。いまの時代に合っているというか、おもしろい素材ですよね。余った毛糸があるとそれを結んで毛糸玉にして、毛糸玉が大きくなったら帽子やマフラーにするということをやっていて、出来上がるまでどうなるか完成形がわからない(笑)。オーダーのセーターは決して安い値段ではないれけど、体にフィットしていて気に入って長く着てもらえたら、それほど贅沢なものではないんじゃないかな。破れてもリペアすれば10年、20年と着られます。私の作るものを買ってくださる方は、そういった気持ちにも共感して買っていただいているのだと思います」
移住して15年、この地を訪れるきっかけとなった親友は残念ながら他界したそうですが、復興支援とハンドメイドを通じて人とつながり、川口に根を下ろしたわきたさん。ここでの生活について、こう語ります。
「自然が豊かで落ち着くし、必要なものはなんでもあるし、とても暮らしやすいですよ。たまに愛知に帰省することもあるけど、そっちのほうが便利だからいいということはなくて。私は吉本哲郎さんが主宰する『地元学ネットワーク』の活動を支援員時代に川口で実践していて。地元の人が地元に学ぶ、外の人の力を借りながら地元の良さを再評価する、というものですが、学ぶというより、楽しみながらまちの魅力を再発見する機会をこれからもつくっていきたい。魅力的なまちだから、長岡の人たちには自信を持って『すごくいいところだよ』と言ってもらいたいですね」
長岡の各地域に移住者が増えつつあるいま、新しい風が送り込まれ、外からの目線と、それに触発された地元の人たちとの化学反応によって、まちのポテンシャルが再発見されることも多くなっています。わきたさんのように、この場所ならではの良いところを見つけ、それらを丁寧に編み合わせながら地域の未来を考える人たちがいれば、その糸は先の時代へと長く続いていくものになるでしょう。復興の日々を乗り越え、喜怒哀楽を共にしてきた人たちのいる場所で、わきたさんのものづくりはこれからも続いていきます。
Text: 松丸亜希子 / Photo: 池戸煕邦、松丸亜希子
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[イベント]「木沢WEEK」2023年6月1日(木)〜7日(水)10:00〜16:00、木沢里山食堂(長岡市川口木沢743)https://www.facebook.com/events/747173690242854