価値を「+1」するものづくりで地方から世界的ブランドに。 挑戦を続けるオンヨネの企業哲学

スキーウェア、スノーボードウェアをはじめとした、スポーツウェアのブランドとして知られるONYONE(オンヨネ)。生産するオンヨネ株式会社は、スキー・アルペンの日本代表をはじめ複数のナショナルチームのオフィシャルサプライヤーに選ばれているリーディングカンパニーです。ウィンタースポーツだけでなく、サイクル、アウトドア、アンダーウェアなども幅広く手がけ、野球のアクティブウェアはプロ選手にも愛用者が多いことで知られています。そのオンヨネは創業以来、新潟県長岡市に本社を置く企業。地方都市にありながら一流のアスリートから選ばれ、世界のトップブランドと渡り合うものづくりを続けてきたオンヨネの歴史と企業風土に迫ります。

 

本社工場内で企画から生産まで!
スピーディな商品開発の秘密

長岡市高見町にあるオンヨネ本社。企画開発から縫製、物流まで行っている。

オンヨネのルーツ、そして製品開発への思いを知るべく、新潟県長岡市の北部、高見町の本社を訪ねました。お話を聞かせてくださったのは、海外スキー選手のウェアのサポートも担当する営業部の吉村徹さん、オンヨネ独自の機能性の高い製品の開発を担当する企画開発部の関泰寛さん、商品化のためのプロトタイプを作成するサンプルクリエイター、縫製の國嶋公江さんです。

左から縫製 國嶋 公江(くにしまきみえ)さん、企画開発部第2課 次長 関 泰寛(せきやすひろ)さん、営業部営業1課 次長 吉村 徹(よしむらとおる)さん。

――オンヨネと言えばスキーウェアというイメージがあります。スキー・アルペン日本代表チームの2022-23シーズンオフィシャルユニフォームもオンヨネブランドで供給されていますし、オリンピックでは海外のナショナルチームにもスキーのスーツが採用されるなどの実績を持ち、世界で活躍するアスリートたちをウェアでサポートしてこられていますよね。

2022年10月25日(火) 東京・渋谷にて開催された「2022/2023 SNOW JAPAN」のリリースより。上段中央、アルペン小山陽平選手の着ているターコイズグリーンカラーのアウタージャケット・パンツがONYONEウェア。(画像:公式ウェブサイトより)

吉村徹さん「弊社は1989年にSIA(日本プロスキー教師協会)のオフィシャル・サプライヤーとなり、以来、スキーを教える方達のユニフォームのサポートをしています。また、1993年からはSAJ(全日本スキー連盟)のオフィシャル・サプライヤーになっています。ワールドカップやオリンピックに出場する海外ナショナルチームにもウェアを供給しています」

2018年ワールドカップで、オンヨネのウェアを着用して初優勝したモーグルの堀島行真選手の写真をはじめ、壁一面に貼られているスキー競技の写真に目が行く。堀島選手はオンヨネのアドバイザリースタッフとしても契約している。

 

「好きなスポーツに関わって仕事がしたい」と思ってオンヨネに入社したという吉村徹さん。国内のスキー選手のサポートをはじめ、フィンランド、リヒテンシュタイン、アンドラといった海外ナショナルチームのワールドカップ用のスキーウェアのサポートを担当してきた仕事人。

――選手用のウェアですから、開発時にも様々な工夫をされているのでは。

吉村「アルペンスキーというのは、タイムの速さを競う種目です。空気抵抗が少ないほどスピードが出る。空気抵抗は生地によっても、どの生地をどこに使うかによっても変わります。ですからレーシングスーツの開発は、生地選びから始まり、作って実際に着て、風洞実験という、実際に前から風を受けてウェアを通過する空気の流れや、ウェアを取り巻く気流の変化を想定されるスピードごとに計測する実験を行います。アルペンスキーのスーツで風洞実験までやっているメーカーは少ないと思います。

高性能モデルになると、空気の流れをよくするために、スーツの場所によって素材を変えることもします。例えば、縦縞状の凹みのある生地などは、これをどこに使うかでスピードが左右される。ゴルフでディンプルボール(凹凸のあるボール)が使われるのは、窪みが飛ぶときに線になり、空気がそこを通るので抵抗が減り、スピードが出て飛距離が出るのですが、この生地にも同様の効果があるんですよ。でも時速100km近いスピードが出ないと空気が通る線にならないし、スピードによっては逆に抵抗になってしまう。そういうことが風洞実験からわかるんです。さらにアルペンスキーには技術系(スラローム、ジャイアントスラローム)と高速系(ダウンヒル、スーパー大回転)があり、種目によってスピードが違うので生地の使い方が変わってきます。加えて国際スキー連盟の定めた、生地1平方センチあたり1秒間に30ミリリットルの空気を通さなければならないというルールも順守しなければいけません」

2022-23のアルペンスキー日本代表チームのレーシングスーツ。競技時の選手の姿勢を考慮して作られた立体構造シルエットになっている(画像: 2022年10月25日オンヨネのプレスリリースより)

縦縞状の凹みをほどこした素材で作成されたレーシングスーツの表面。アルペン競技のスラローム、ジャイアントスラローム種目の速度域で効果的に空気抵抗を軽減するために採用された(画像: 2022年10月25日オンヨネのプレスリリースより)

 

――競技に合わせて一番スピードがでる生地を選ぶ……。大変な作業ですね。素材ごと、場所ごとの空気抵抗を調べ、どの位置にどう配置しようと決め、実際のウェアのパターンを作るところまで、この本社で行っているのですか。

吉村「実験は別のところでやっていますが、それ以外はこの建物の中ですべてできます」

國嶋「ひとつの建物の中で、企画し、デザインを決め、パターンを作り、縫製も裏の造りから表の仕上げまでこの本社で行えるんですよ。だから改良点に気づけば、すぐにパターンに反映できます。企画からサンプルの生産、営業まで、本社でできるのはオンヨネのよさかもしれませんね」

バレーボールやインディアカ(羽つきのボールで行うバレーボールのような競技)を愛好している縫製の國嶋さん。就職活動中にオンヨネの『サンプルクリエイター』という求人に興味を惹かれて、入社したそう。

――様々な部署からのアイデアやフィードバックがすぐに生かされるメリットがあるわけですね。スピード感バツグンですね。

本社内にあるサンプル製品を作る縫製室。来季用の展示用製品作成の真っ最中。

 

細かく指示の入った型紙。

 

アスリートが最大限のパフォーマンスを発揮できるように、関節の可動域がスムーズに動けるような立体裁断をしているのがオンヨネのウェアのこだわり。着心地のよさや動きやすさが実現するのは、優秀なパタンナーがいてこそ。

 

パタンナーの手でパーツごとの精密な型紙や仕様書が作られる。製品の品質を決める重要な工程で、熟練の担当者が行う。

――スキーウェアもどんどん進化していると思うんですが、どのようにして製品開発をしているのでしょうか。また開発の際にご苦労されるのはどのような点でしょうか。

関「素材は主には生地の加工メーカーさんとタイアップをして開発しています。メーカー側の現場の開発者と目的に向けた情報交換をしながら同じ目線で物が作れるところがいいですね。

スキーウェアは、ポリエステル繊維やナイロン繊維を主に使います。海外には標高3000メートル級のスキー場が多いのですが、標高が高くなればなるほど紫外線が強くなり、ウェアの色がとんでしまうんですね。海外のスキースクールの服は雪山でも目立つように赤が多いのですが、3000 メートル級のスキー場でワンシーズン赤いウェアを着ていると、春にはピンクになるくらい、繊維自体の色を保てる力が弱くなっていくんです。それを解消するために、加工メーカーさんと染料の開発をしたりして、今では3年着ても赤色が保てるレベルの品質になりました」

――使われる場所や環境がそこまで大きく影響するんですか!

関「紫外線の影響があるということは、もちろん把握していて、生地選びの際に物性データを確認しながら最高クラスの生地を採用していたのですが、それでも色が抜けてクレームがあった時に、原因と向き合って打開策をしっかりと作って対応しました。高い品質を維持できるようにやっていくということが、企業理念としてありますから」

吉村「国内で通用することと、世界で通用することはまた違います。日本と海外で大きく違うのは水です。日本の水はほとんどが軟水ですが、海外は硬水です。使われる洗剤もまた違います。最初に海外の大会にウェアサポートで帯同した頃は、日本では特に問題ない点が、海外では全く見たことのない問題になったりしました。原因を調べ、一つ一つ解決してきたことで今日のオンヨネがあります」

 

雪国の生活の中で着想された
スノーウェアの誕生秘話

オンヨネの社史がまとめられた冊子

――オンヨネは1968年(昭和43年)創業とのことですが、そもそもの創業からの経緯をお聞きしたいと思います。

関さんは、ヘルスケア領域の製品開発を担当。アスリートをサポートする製品はもちろん、医療・健康・衛生分野などでオンヨネの技術力を生かす商品を送り出している。

関「創業者の恩田米七は、長岡市宮内で米屋を営んでいたそうです。それが戦時統制で米が配給制になったため継続できなくなり、『食』の次に人の役に立つことは?と、『衣』を選択し『えびすや』の店名で衣料品を扱うようになりました。しばらくして米七の息子米一が、外注工場に依頼して自社製品の生産を始めます。後に、自宅の二階を改装して自社生産を開始し、昭和42年には長岡市摂田屋に移転、『恩田米七商店』として生産を拡大させました。『ランリージャック』と名付けた実用新案商品が大ヒットし、昭和43年7月1日に『株式会社恩田米七商店』として法人化し、米一が初代社長に就任します。」

――創業者の名前から「オンヨネ」となったのですね。縫製業を行うなかで、スキーウェアを中心に据えたのはどのような経緯があったのでしょう。

関「えびすや当時米一は、冬にはマントを羽織って行商していたところ、寒さは凌げてもびしょ濡れになることから、防水性と防寒性を併せ持った製品を作れないかと考えました。ナイロン撥水布に、自転車パンク修理用のゴムのりで保温性のある材料を貼り合わせ、1枚で両方を備えた布を開発したそうです。大手素材メーカーに加工を委託し、それを使ったラッシュコートと呼ばれる商品を発売することで、事業を拡大させていきました。かつて、製造者番号を製品に縫付けなければいけなかった時代、当社は『C-NG-1001』この種の商品のメーカーとして新潟県の1番目を頂戴しています」

 

製品から作業環境まで
工夫して進化させる企業風土

初代社長の恩田米一氏は、高度成長の時代に、様々な工夫で世の中の困りごとを解決しようとした人でした。その一つが『外着に反射材を付ける』でした。今ではごく当たり前に目にするこの意匠を昭和40年代の自家用車が一般化する一足前に始めるとは驚きです。

関「冬は暗くなるのが早く、歩行者はドライバーから見えにくく危険ですが、服に反射材が付いていれば気付かれやすいのです。今では当たり前の工夫ですが、当時は斬新なアイデアです。ほかにも、1970年頃には、ジャケットとパンツの上下組みの煩わしさ解消、接客時間の短縮、店頭在庫の上下バランス改善、生産の効率化等を考慮し、上下組スキースーツを発売します。サロペットパンツの腰両脇にニット素材を使うことでウエストサイズの対応が図れるものでした。」

――そうした工夫で防寒着やスキーウェアを進化させていったところに、1970年代後半から1990年代前半にかけてのスキーブームで業績を伸ばし、世界で通用するスポーツウェアメーカーになっていったということでしょうか。

吉村「1992年にスノーグッズのメーカーとして有名なフランスのSALOMON(サロモン)社とライセンス契約をし、サロモンブランドのスキーウェアの国内向け製造販売を始めました。そこが大きな契機になったと思います。」

――創業から20年足らずで世界的に有名なブランドとライセンス契約。わずかな期間でそこまで事業を大きくしたというのはすごいことですね。

関「最盛期には、新潟県内に4つの生産工場があり、そこでほとんどの製品を作っていました。現在生産拠点は、サンプル開発と特殊品を除き協力工場に委託していますが、それまでは国内で300人超の社員がいたと聞いています。」

 

自転車、アウトドア、野球……
技術と発想を多種目へと横展開

――スキーのほかに自転車やサーフィン、野球のウェアも手掛けていらっしゃいますよね。

関「スキーウェアで培った空気抵抗を抑える技術や通気性を高める技術が、他の競技用ウェアに活かされているんです。アテネオリンピック(2004年)のとき、自転車トラック競技のワンピース開発を依頼されたのですが当時は販売実績がなかったため、最終的には採用されなくて。でも実際に選手に着て走ってもらいタイムを測定したところ、当時、トラック用のワンピースとしては、世界で一番速さの出るものではないかというお言葉をいただきました。以来、サイクルウェアを作り続けています。アウトドアウェアでは、スキーウェアで培った防水布を縫製する技術と動きを考慮した設計を用いて、レインアイテム等を開発し展開しています。また、スキーもアウトドアもいいインナーがないと快適性が保たれませんから、その流れで汗の処理に長けたアンダーウェアを開発するようになりました。そのうち、キネシオロジーテープ(筋肉保護テープ)の技術を取り入れたアンダーウェアなど、よりアスリート向けの高機能商品も生み出されました。そういった技術をベースに始めたのが野球用のアンダーウェアです」

吉村「野球に参入したのは今から18~19年前ですが、当時、野球のアンダーウェアはコットン製品が中心でした。ピッチャーは運動量が多いうえ球場も暑く発汗量が多いため、試合中に何度も着替える必要があったそうです。そこで当社製品を試してもらったところ『試合中ずっと着替えなくてよかった』と驚かれました。しかも、動きを考慮した設計をしていますから、寒い時期に重ね着をしていてもボールが投げやすく、そのことにも驚かれたようなんです」

吉村「オンヨネは野球の分野では後発ですが、アンダーウェアから、商品を絞り込んで参入しました。最初は、高校の強豪校に使ってもらうところからスタートです。社内でも一部のメンバーしか知らない立ち上がりで、専任スタッフがこつこつと脚で拡げてくれました。ずっと当社のアンダーシャツを愛用しているプロ選手もたくさんいらっしゃいます」

國嶋「野球をしている夫や子どもは、うちのアンダーシャツを絶賛していますよ!」

オンヨネのアンダーウェアは、甲斐拓也捕手、野村祐輔投手、藤浪晋太郎投手といった第一線のプロ選手たちとディベロップメントスタッフ契約を結び、製品を共同開発している。(画像出典:オンヨネホームページより)

――スキー、アウトドアで培った動きやすさや快適性が、別のスポーツでも新たな価値を切り開いたんですね。

関「様々な競技、カテゴリーの環境条件や動きに合わせてウェアの素材や形状を研究し、マッチングさせていくのが、オンヨネが大事にし続けていることですからね」

オンヨネのたゆまぬ商品開発の成果は、野球のウェアにもすっかり浸透。さらなる発展を続けています。

 

「+1」の哲学でオンリーワンの商品を!
防炎やヘルスケアにも進出する“行動着屋さん”

従来のフィールドでの成功に満足せず、次々に新しい価値を持つ製品を生み出し続けるオンヨネ。その原動力は、いったい何なのでしょう。

関「開発理念として掲げているのは“運動を科学した行動着”です。社長は自分たちを指して『行動着屋さん』という言い方をしますね。また “Onyone+1=Only one(オンヨネ プラスワン イコール オンリーワン)”という言葉もあります。数字の1をアルファベットの小文字のエルに見立て、Onyoneのnとyの間に1を足すとオンリーワンになるんです。今ある商品に対して、もっと便利に、もっと快適に、もっと楽しく等のプラス1を加えた商品を開発していこうというのが理念にあります。使う人を幸せにする気持ちで商品企画をし、丈夫で長持ちするよう丁寧に作る、必要な時にしっかり届ける、“企画は天使の気持ちで、生産は消費者の気持ちで”がメーカーとして大切だと思っています」

――焚き火用の防炎ウェアもありますよね。使用者の困りごとを解決してくれる機能が付加された商品だな、と目の付けどころに驚かされました。

関「『焚火の火の粉が飛んで衣類に穴が開いた』といったことを聞いて、難燃繊維を開発しているメーカーとタイアップして糸を作ってもらいました。長岡市栃尾で編んで生地にして、県内で縫製しているんですよ」

――新しい価値といえば、ヘルスケア分野への展開もしているとお聞きしました。

関「2016年からA.A.TH ®リカバリーウェア、2021年から医療向けにA.A.TH®-ME(アスメ®)ブランドで医療機器クラス1の商品を展開しています。医療機器では、血行を改善し、消炎鎮痛効果が期待される商品で、日頃から蓄積された疲労や、スポーツで追い込んだ体を整える手助けをする商品です」

――身に着けるだけで疲れが回復するんですか?

関「マッサージをしたり、患部を温めるとコリが取れますよね。それと同じような効果があるんです。身に着けたり、敷くもの、かけるもの、体を覆って使うことで、それによる健康改善や、筋肉痛、神経痛などに対する消炎鎮痛効果が期待できます」

――ということは、例えば腹巻やシーツとして寝るだけで体にいい影響があるとか?

関「これまでの臨床結果では、眠りが深くなったり、寝入るまでの時間が早くなる傾向が確認されています。私も普段から寝ているときに使っていますが、翌朝、寝起きがすっきりしているように感じます。新潟県中越地震(2004年)では多くの方が血行不良によるエコノミークラス症候群で亡くなられました。この製品は血行改善効果が期待されるため、防災時にも活用が見込めるのではないかと思っています」

――運動をする人のコンディションの調整はもちろん、一般の方、さらには病院や介護施設などの需要もありそうですね。

関「ヘルスケア製品の開発においては、着用によってどのような効果があるのか、大学の先生方と臨床研究しながら進めています。最近では月経痛の緩和を目的としたアンダーウェアも開発中で、いい臨床結果も出ており、学会等でも発表される予定です。今後も幅広く、『プラスワン』の魅力がある、自信を持ってお勧めできる商品の開発を進めていきたいと思っています」

 

世界に通用するブランドが
長岡に拠点を置く意味とは?

アスリートのパフォーマンスレベルを上げるウェアから、健康改善につながるウェアまで、これまでにない製品を目指し、開発しているオンヨネ。世界に通じるブランド力を磨きながら、本社を地方都市である長岡に置き続けていることに理由はあるのでしょうか。その質問に、海外で行われる国際大会へのサポート経験も多い吉村さんはこのように答えてくれました。

「ヨーロッパのスキー板メーカーの拠点も、実は地方にあるんですよね。弊社のメインであるスキーウェアは、雪国にいるからこそわかることがあると思うんです。例えば、小学生が登下校で防寒着としてスキーウェアを着ているのを日常的に目にしたりしますし。さらに、今は東京と長岡で仕事を進める上で差がそこまであるとは思っていません。それよりも使う人の立場を、その場所で体験しながら考えるほうがいいのではないかと思います」

製品が実際に使われる環境に身を置き、使う人の立場にたって、よりよい製品へのもう一歩を日常的に考える。そうしたオンヨネの企業姿勢は、戦後まもなく創業者が雪中での行商体験から防寒着を編み出した時代から不変なのでしょう。

「社長にも、『今あるものを作るんじゃない。人の為に役立つ、今よりもっと、というオンリーワンの製品づくりを』言われていますね」と関さん。勝つためのウェアから生活の質を高めるウェアまで、社員一人一人の発想力と技術力を生かした、こだわりあるものづくりが、今日も、『今よりもっと』と言える製品を生み出し続けています。

 

Text : 河内千春/Photo : 池戸煕邦

●Information

オンヨネ株式会社
[住所]新潟県長岡市高見町4327番地
[電話]0258-24-0048(代)
[URL]https://www.onyone.co.jp/

オンヨネのA.A.THシリーズは長岡市のふるさと納税でも取り扱い中です。
https://www.furusato-tax.jp/product/detail/15202/5036646

 

 

 

 

 

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