クラフトビールのレジェンドとまちづくりを語る。「発酵するまち」の条件って何だ?(前編)
2023年10月15日と21日、新潟県長岡市で「HAKKO Trip」が開催されました。「発酵・醸造のまち」を謳う長岡で、味噌・醤油・酒といった食文化のみならず、視覚表現やこの先の社会像など、「発酵」という概念をまちや暮らしに取り入れることをさまざまな角度から提案してきたこのイベントも、数えること5回目。毎回どのようにまちと関わっていくかを模索しながら、長岡駅直結のアオーレ長岡や、多数の蔵が集う発酵の一大拠点・摂田屋エリアなどいくつかの会場を移動しながら開催してきましたが、今回は初の試みとして、週をまたいでの開催。会場も15日に摂田屋エリア、21日に長岡駅前エリアと完全に分けての開催となりました。両日ともにあいにくのお天気でしたが、たくさんの人がイベント限定の発酵フードを満喫したり、微生物の世界を知るワークショップに参加したり、体験や交流も盛んな二日間となりました。
そんなイベントのトリを飾ったのが、「BREWTOWN TALK~発酵するまち~」と題した二部構成のトークです。前回の2019年開催から新型コロナウイルス感染症の影響などもあって間が空いてしまいましたが、堂々の復活となりました。
長岡市が「発酵のまち」と謳い始めてから、はや7年。日本酒や味噌といった発酵食品は分かるけど、「まちが発酵するってどういうこと?」と概念的なイメージが湧かない方も多いと思います。そこで、発酵界のプレイヤーたちをゲストに迎え、微生物とまちづくりの共通点を見つけ出し、まちの未来を豊かにするヒントを見つけていく場。それがこのトークです。
第一部のゲストは、三重県伊勢市を拠点にクラフトビールブランド「ISEKADO(伊勢角屋麦酒)」を展開する、有限会社二軒茶屋餅角屋本店の鈴木成宗(なりひろ)社長。ビール界のオスカーと称される審査会「The International Brewing Awards」で国内メーカー唯一の金賞3連覇を達成し、世界の発酵・醸造シーンの注目を集める人物です。
そして第二部のゲストは、長岡市で異色の町内会長兼クラフトビールイベント仕掛け人として活動する大竹祐介さん、そしてこの「な!ナガオカ」の立ち上げ時からライターとして参加し、福祉や共生社会についての取材・執筆を重ねてきた松丸亜希子さん。モデレーターはいずれも、前回同様「な!ナガオカ」編集長の安東嵩史が務めました。「発酵」を合言葉に、まちを未来につなげるヒントを探したスペシャルトーク。その様子を少しだけご紹介します。
前回(2019年)開催した、「伝説」と称される発酵トークイベントの様子はこちらの記事をご覧ください。
小倉ヒラク、星野概念、ドミニク・チェンが長岡に集結!「発酵するまち」を考えた
日本の発酵・醸造文化が
成熟しきれない背景とは?
第一部のゲストであるISEKADO社長の鈴木成宗さんは、クラフトビール界では知らぬもののないレジェンド。伊勢神宮のお膝元で400年以上続く餅屋・味噌醤油蔵の21代目でありながら、1997年に新規でクラフトビール事業を立ち上げ、「5年以内に世界一の賞を獲る」という目標を掲げて見事に有言実行しました。微生物研究で博士号も取得し、ビールの製造だけでなくさまざまな大学や研究機関と協同した学術研究にも参加しています。
今でこそ日本のクラフトビールの品質は向上しており、日本全国でさまざまな銘柄が誕生していますが、鈴木さんが事業を始めて軌道に乗せた1990年代から2000年代前半にかけての状況はひどいものだったと言います。
鈴木 まず、1994年の酒税法改正によって、ビール造りの規制が緩和されたんです。そこで、多くの地域でまちおこしの一環としてクラフトビールが造られはじめた。当時は主に“地ビール”という呼ばれ方で、ちょっとしたブームになりました。しかし、あるとき全国の地ビールをテイスティングする機会があったんですが、驚きました。雑菌だらけで、売り物にならないビールが半数以上だったんです! 乳酸菌が異様なほど発生していたし、とてもお客様に飲ませられる品質のものではありませんでした。
ビールの主原料であるホップは冷蔵・遮光・脱酸素が基本ですが、その扱いすら、おそらく守られていなかったんでしょう。まちおこしの一環として、ブームに乗って話題をつくることのほうに意識が向きすぎていたのか、ほとんどはビール単体としてめざす味わいをつくろうとする熱意も、衛生的な意識さえも希薄なものだと感じました。
——日本のクラフトビール文化は規制緩和やブーム的なまちおこしといった外的な要因で始まり、それゆえに品質や管理体制がついてこなかったということですね。海外ではどのように始まったのでしょうか?
鈴木 アメリカで言うと、現在、一万社を超えるクラフトビールのメーカーがあります。その始まりは、画一的な味をよしとする大手メーカーに対するアンチテーゼなんです。若者たちが『俺はこんな味をつくりたいんだ』と自由に表現することで、強烈な個性を持ったクラフトビールが次々と誕生しました。フランスはワインから少し遅れてビール文化が始まりましたが、同じく若者発です。
——日本と違って、カルチャーとしてのビールなんですね。最初はほとんどガレージでバンドを始めるノリから生まれたAppleのようなメーカーと同じで、そもそもが『自分たちにとっていいものがないから、作る』というシンプルな動機から始まっている、と。
鈴木 あとは、海外と日本の大きな違いといえば、自家醸造文化があるかないかです。日本では家庭での酒造りが禁止されていますが、アメリカでは多くの人々が家庭で酒造りを楽しみ、醸造に関する本が山ほど出版されています。だからこそ、醸造に関する基本的なリテラシーが高いんです。
実は、先進国で自家醸造が禁止されているのは日本くらいなんですよ。その結果としてどうなるかというと、日本では酒造免許を取って職業になるまで、その人に酒造りの才能があるか興味があるかがわからないということになる。海外であれば、趣味が高じて知識を身につけ、腕や個性を磨いて酒のプロになっていく人々が大勢います。また、もう一つのデメリットとして、お酒の知識を持つマーケターが少ないため、品質の低下に気づきにくいということがあります。
——つまり、日本の酒造りにおいては「プロ」と「消費者」の二極化が起こっていて、その間にグラデーションのように人が存在しない制度設計になっている、ということですね。そのような制度が背景にあると、人々の意識もいつしかそのように二極化してしまう。それはクラフトビール的な発想とは相性がよくないし、文化的に豊かとは言えないですね。
制限や管理が強くなりすぎると
イノベーションは生まれない
——「プロとアマチュアの二極化」という現象は、まちづくりにおいても問題だと考えています。都市空間のつくりかたや使い方を法制度や都市計画の「プロ」である行政マンやディベロッパーだけが決め、その影響をダイレクトに受ける市民たちはその計画が完成する頃になってようやく知らされる。これは、一握りの「プロ」が市民やユーザーを「素人」であると捉え、その声や知見を軽視しているからです。本来は住民全員がまちづくりの参加者であるはずなのに……。知識や権限のある人が多くを囲い込んでしまい、「自分も何かを始めることで、まちづくりに参加できるんだ」という意識が市民に育たない状態は豊かとは言えません。
鈴木 その通りだと思います。微生物の観点から言えば、腸内細菌って人間にとって有用だと「善玉菌」、害があると「悪玉菌」、何のためにいるのかわからないけれどとりあえず無害なものを「日和見菌」と呼ぶんですけど、それらは全部つながって代謝活動をしているんです。ある菌がセルロースを食べたら、その菌をまた別の菌が食べる、その連鎖で適切な代謝ができている。菌の世界ではつながりが大事だし、いずれかの菌を排除した状態ではよい発酵はできないといえます。同じように人間の世界でも、自由にそれぞれの力を発揮できる環境があるからこそ発酵できるし、新しいものが生み出されるんです。
——自由につながり合う環境の中で、ぬか床のように「かき混ぜる」作業も大事ですよね。ぬか床というのは放置してもダメだし、混ぜすぎ、つまり介入しすぎてもダメで、さじ加減が肝要です。まちづくりにおいての行政の役割というのは、本来それに尽きるんですよね。
鈴木 行政がやるべきは、人の腸内環境のように、多様な人々が集う場を作ることです。そのような場として、本日見学させていただいた「ミライエ長岡」の図書館は素晴らしいですね!
鈴木「図書館=静かにしなければならない場所」というイメージは根強いですが、あれこれと禁止事項をつくることは、イノベーションが生まれるのを阻害することです。最初から想像がつく程度の範囲に人を押し込めて、新しいものが生まれるわけがないですよね。集団も一緒で、誰か偉い人が「こんな人を集めましょう」と言って、その通りの人を集めただけの集団って、実はまったく多様じゃないんですよ。想像のつく範囲の言葉しか出てこず、想像のつく範囲の結果しか出ない。でも、腸内で99%を占める「日和見菌」のように、表立って何かをしていないように思われる人々にもそれぞれの考えや動機があるし、そんな人はある日突然、何かのフックをきっかけに勝手に動き出し始めたりする。イノベーションは、そこから生まれるんです。
——制度設計をする側に大事なのは、自分の想像力が及ばないからといって「これはダメ、あれもダメ」とあらかじめ禁止してしまわないことですね。
鈴木 もちろん、その難しさもわかりますよ。特に行政などは、多様な人々が集う場をつくりかき混ぜることで、どんな人が来るのか、何が起こるのか予見しづらいということと向き合っていかなければならない。先が見えないところに予算を投下するのだって、勇気がいりますからね。
——とはいえ、そこで二の足を踏んでいては、せいぜい「想像のつく範囲のまち」しかできあがらない。何もしなくても人口や経済規模が右肩上がりだった時代ならいざ知らず、これからはそれでは衰退の一途です。どうすれば、もっと新しいことが起こるまちになるんでしょう?
まちを豊かにするカギは
「おもしろがれる」大人たちにあり
鈴木 まちに住む人々がのびのびと自分を発揮して行動するためには、『周りにいる人たちが、その人をおもしろがれるかどうか』が重要です。私も伝統ある餅や味噌・醤油の企業に生まれながらクラフトビール事業を始めた時は、周囲から散々「バカ息子」と呼ばれて冷たい視線を浴びせられました。私の場合はあきらめない気持ちが勝って貫き通せましたが、環境や性格によっては、理解者がいないことで摘まれてしまう芽も多いでしょう。
——「変なやつ」をおもしろがる風土は大事ですね。特に人生経験の長い年配者は、下の世代の発想を頭ごなしにジャッジするのではなく「自分にはわからないけど、おもしろいじゃん」と、ぜひ寛容になってほしい。多くの人が自分の世界観にないものをどれだけ受け入れられるかが、まちがおもしろくなるためのカギになるのではないでしょうか。
鈴木 まさに、度量の広さが試されるところです。私はよく若い起業家たちの事業相談を受けるんですが、時々、自分ではそのアイディアが良いのか判断できないこともあります。それでも私は『おもしろいからやってみれば?』と背中を押します。実際に行動して壁にぶつかったら、また相談に来ればいい。または、相談者にとって頼りになりそうな人をつなげてあげることもあります。
経験を積み重ねてきた人の強みって、多様な人をつなげる役割を担えることだと思うんです。自分のわからないもの、自分の世界像の中にないものにフラットに目を向け、そういうものを持っている若い人たちの助けになるような知恵やつながりを差し出すことと言ってもいいかもしれません。
——ハブのような役割ということですね。自分の知識やコネクションを自分で囲い込んでしまうのではなく、オープンにできるものはどんどんオープンにしていくことが大事なのかもしれません。または、それができる場所を作る、ということでもいいのかも。
菌のようにつながり合うことで
イノベーションが生まれる
鈴木 ところで、長岡には日本酒や味噌などの蔵がたくさん集まっていますが、業界同士の横のつながりはあるのでしょうか?
——自分の知る限りでは、試みレベルでは存在していますが、まだハッキリと形を取った協業という形はほとんどありません。だからこそ「HAKKO trip」のようなイベントを開催して、意図的につながりを生む機会をつくっているというところもあるんです。実際、このイベントを通じて出会った人たちが新しい会社を立ち上げたりと、「これがなかったら起こらなかったつながり」が生まれているのはよい傾向です。クラフトビール業界では、そうした横のつながりはどんな状況になっていますか?
鈴木 特に海外のクラフトビール業界は、横のつながりが濃密です。なぜなら、クラフトビールは200以上のスタイルがあって、それぞれの目指す方向性が違うからです。同業者同士であっても直接の競合関係にならないので、惜しげもなく製造ノウハウをオープンにし、すごい数の情報交換を行っています。常にブルワー同士で集まって、ワイワイやっている。だからこそ技術的革新が早いし、イノベーティブな産業として育っているんです。日本のクラフトビール業界は税制的なこともあって、そこが弱いところなんですよね。
しかし、長岡の場合はこれだけの発酵・醸造業が集まっているので、横のつながりが強くなれば、さらに魅力的なものが生まれていくと思います。
——実は長岡市には16の酒蔵が立地していて、「市」という単位では京都市に次ぐ全国2位なんです。味噌・醤油などの蔵も多いですし。
鈴木 人口一人当たりの酒蔵数で言うならば、間違いなく全国ナンバーワンでしょうね。それはすごいことですよ。今日の午前中に訪れた「越銘醸」さんの蔵では、若い蔵人さんと技術的な話で盛り上がったんですが、すごく真摯にものづくりに向き合っていらっしゃって。マーケティングに関してもきちんと考えておられたし、素晴らしいなと思いました。
——そうしたそれぞれの素晴らしさはありますが、例外はあるものの蔵同士の物理的・心理的距離がそれほど近くないという問題があるので、誰かが音頭を取って知見を持ち寄る場をつくることが必要だなと思います。
鈴木 近視眼的に見ると、同業者はライバルになってしまいます。ですが、マクロ的な視点で見ると、近くにいる同業者って、戦友になれます。長岡の蔵がどれだけ近くて遠いかわからないで言っているのをご容赦いただきたいですが、どうせ一緒にいるんだったら、横同士で一緒にやったほうが絶対にいいですね。知見が一つの場所にこれだけ集まっていることは、大きな財産ですから。
——まちづくりに話を戻すと、よく「縦割り」なんて言いますが、行政も横同士のつながりが薄いのが惜しいと感じています。人間はどうしても自分と他人を切断する心情があるものですが、その心理をほぐし、「内」と「外」の境界線を曖昧にするべき部分はしないと、いいものはつくれないと思うんです。
鈴木 つまり、それが共生ですよね。ここまで話してきたことって、実はすべて、微生物の世界では当たり前に行っていることなんです。微生物は独力で存在しているわけではなく、自分以外の何億・何兆という、それぞれまったく違うやり方で生きている微生物と共生しながら生態系を作っています。共生するためにはもちろん多様性が必要ですが、単にその場に雑多にいることが共生というわけではありません。「共に生きる」というのはそれぞれが有機的につながって、自分のもつ情報や背景を共有しあっていくことです。
山には木が生えてますよね。それらの一本一本の木の根には「菌根菌」という微生物がいるんですが、近年の研究で、これらがただ栄養をやり取りしているだけでなく、常にとんでもない量の情報交換をしていることがわかってきたんですよ。山の反対側で起こったことも、菌のネットワークを通じて瞬時に共有される。誰かが「こうでありなさい」と決めた中央集権的なあり方ではなく、それぞれが違うもののまま、分散して活動しながらみんなで山の生態系を作っていく。
人間だって同じです。しかも、今はインターネットのおかげで、世界の裏側の情報を持っている人間がすぐ隣の家にいたりする時代。海外から来た人など、実際に違う世界の知見がある人たちもたくさんいる。そういう「自分とは違う世界を見ている人たち」をお互いどのように見出し、仲間にしていくことができるか……というのも、これからのまちには絶対に必要なことだと思います。
——そもそも、一人ひとりの人生そのものがいろんな要素のコラージュですしね。「純粋性」みたいなものを指向することがときに豊かさや寛容さを遠ざける場面がありますが、それは「異なるものが寄り集まって作用しあっている」状態が人間そのものの存在と一番近いからなのかもしれません。
鈴木 そうですね。だからこそ、多様な人が集まっているアメリカのような場所で、世界を変えるビジネスが生まれたりする。イノベーションというのはまったく新しいことを生むことだと誤解されがちですが、ゼロから何かを作ることではないんです。新しい発想や発見といってもそこには必ず何かしらのベースがあります。世界中にFacebookを広めたマーク・ザッカーバーグだって、そこらじゅうにある似たようなサイトを参考にして、そこに「いいね!」を足しただけ。その「いいね!」だけがよくも悪くも新しく、それで天下を取ったわけですから。
——偉大な科学の発見だってニュートンのリンゴのように前々からそこにあるものや現象を見てたどり着いたものなわけで、つまりは長い時間がそこに蓄積したものを「当たり前」とか「古いもの」と思わずに、フラットに観察してみることに手がかりがある。長岡に限らず、人は「このまちには何もない」と言いがちですが、それは「(東京みたいなものが)何もない」と言っているだけにすぎなかったりする。テレビや広告が流す東京発の言葉をいったん忘れて身の周りを見つめると、魅力的なものはたくさんあると思うんです。それらをどう組み合わせるかで、新しいものが生まれていく可能性はまだまだありそうです。
鈴木 伊勢に住む私から見ると、長岡は宝物だらでけすよ!長岡花火や日本酒や味噌、世界に誇れるコンテンツが集積しています。まちのポテンシャルは十分に高いので、あと必要なのは、人と人のつながりが生まれる環境ですよ。若い人たちはどんどん思っていることをぶつけ、それを度量のある大人たちが受けとめてほしい。多様な人々とのつながりが生まれれば、まちはさらにいい方向へと進んでいくはずですから。
ご自身の歩みや微生物の営みを例えに挙げながら、「多様であること」「オープンであること」の重要性を熱く説してくれた鈴木社長。その力強い語り口に、客席では熱心に頷いたり、メモを取ったりする観客の姿も目立ちました。この第一部だけでも濃厚なものでしたが、長岡のまちでそれぞれの実践を行うゲストを迎えての第二部も、これに負けず劣らず白熱のトークショーになりました。現場の風景を通して見る長岡の強み、そして「発酵するまち」とは一体何か……? 第二部のレポートをした後編にご期待ください。
[記事後編につづく]
クラフトビールのレジェンドとまちづくりを語る。「発酵するまち」の条件って何だ?(後編)
text:渡辺まりこ/photo:池田哲郎(ピープルアイランド)