音楽と英語を操る“車イスの遊牧民”IB。地元に根ざしながら自分の世界を広げ続ける、その旅路を聞く
予約は不要、出入りも自由!
お茶を飲みつつ英語に浸れる交流の場
JR長岡駅東口から悠久山行きのバスに揺られて約15分。終点で降り、長岡市民に“おやま”と親しまれている悠久山公園と反対方向に5分ほど歩くと、爽やかなブルーの外壁が目を引く一軒家が見えてくる。ここが「世界のお茶の間Ivy」である。
IB(アイビー)は伊部(IBE)さんが長年使っているニックネームで、そこから派生したIvyは、するするとつるを伸ばして成長するツタのこと。英語と音楽で人と人がゆったりと結ばれ、有機的につながるイメージにぴったりだ。2021年3月に子どもたちの英語教室が、翌年1月に英会話カフェ「お茶の間英会話Ivy」がスタートした。
本日は「英会話Ivy」の日。火曜日の14時30分から約1時間、のんびりお茶を飲みながら英語でおしゃべりを楽しもうというもので、月2回開催されている。予約不要、遅刻も早退もOK、出入り自由のお茶会なので、誰が来るのか始まるまでわからない。
「こんにちは」と言って入ると、「Hello, thank you for coming!(こんにちは、来てくれてありがとう!)」と伊部さんが笑顔で迎えてくれた。少しして、年配の女性2人組が車で到着。おふたりとも常連らしい。カウンターで「May I have an iced lemon tea?(アイスレモンティーをいただけますか?)」などと好きなドリンクをオーダーしている。「いきなり英語?」と怯むなかれ。カウンターには英語の注文方法が書かれたシートも用意されている。「英会話Ivy」で必要なものは一律300円のドリンク代と、未知の世界へ一歩踏み出す勇気だけ。
伊部さんが用意してくれたドリンクを持って中央の丸テーブルへ。全員が席に着いたら、「How have you been?(どうお過ごしでした?)」と伊部さんが口火を切る。先々週から今日までの出来事、最近の関心事など、1人ずつ近況を話す。英語だけで話す人、日本語を交えて話す人。流暢に話せなくても、伊部さんが意図を汲み取って単語やフレーズを教えてくれるし、アットホームな雰囲気なので遠慮はいらない。
初回の人には自己紹介のフレーズが書かれたシートが渡され、それに従って名前や仕事、趣味などについて英語で話してもらう。ほかの参加者も簡単に自己紹介をして、お互いに質問したり、されたり、自然な流れの中で初対面の人とも会話が弾む。「今日は話したくないなと思ったら、ただ座って聞いているだけでもOKですよ」と伊部さん。
用意されたトピックスについてみんなで話したり、ゲームで遊びながら会話したり、気付けば1時間が終わろうとしていた。最後は日本語も交ざり、「あら、もう時間なの? また再来週ね」と帰り支度を始める女性たち。去り際に話を聞くと、「英語で話す機会がなかなかないから、ここに来てるんです。もし英語で話しかけられたら、ちょっとくらい返せるようになりたいしね」「もう1年半くらいになるかしら。もっと上手くなりたいから伊部さんに個人レッスンの相談もしています」。そして「写真は撮っていいけど、恥ずかしいから顔は出さないでね」と念を押された。
SNSで情報を見つけた人、友人知人から紹介された人、市内のレストランなどに置かれたチラシが目に留まった人、伊部さんが運営に携わるイベント『アフリカンフェスタ!inながおか』で知った人……。さまざまなルートで辿り着き、それぞれのモチベーションを携えて集う。伊部さんは「なんだか怪しいと思う人もいるだろうし、時間帯の都合もあるし、いろいろなハードルを乗り越えて集まってくれる勇者たちです」と笑う。
みなさんが帰路についた後、この活動を始めた動機を伊部さんに訊いた。
「以前は自宅で小学生に英語を教えていましたが、家だと低学年が限界で。大きい子たちに来てもらうためにも、新しい場所がほしいと思ったんです。英語のレッスンだけでなく、世界に関するいろいろなことをやっていきたいので『世界のお茶の間Ivy』と名付けました。お茶会では個々の英会話レベルの差もあるし、私との世代差もあるので、みなさんが関心のある話題はなんだろうといつも考えています。たとえばNHKの朝ドラはいいトピックスですね。私も好きでずっと見ていて、毎朝決まった時間に起きるモチベーションになっています(笑)。細く長く続けたいので、頑張りすぎて疲れないようにしたいです」
「世界のお茶の間Ivy」ができる前、「英会話Ivy」は長岡駅前のカフェ「キャラメルママ」で先にスタートした。「長岡に帰郷してからキャラメルママに友達と行き始めました。5年ほど前、オーナーの由実子さんに『ここで英会話カフェをやらせてもらえませんか』と言ったら『日曜は空いてるからいいですよ』と言っていただき、月1回使わせてもらっています。ありがたいですね」と伊部さん。
まず飲み物をオーダーし、参加者それぞれ店に支払うのがキャラメルママでの会のお約束。こちらも参加費無料、予約不要・出入り自由。音楽が好きな人、本が好きな人、ラジオが好きな人、ときには高校生も参加し、「世界のお茶の間Ivy」とは違う雰囲気と話題で英会話に花が咲く。
伊部さんいわく「キャラメルママで始めたときから“教えている”という感覚ではなく、これは私の勉強のためでもあるんです。自分が話すときは英語で発想したことを話しますが、ほかの人が『これは英語でなんて言うんだろう』と話す日本語の内容を英語にするのは難しいもので、これがいちばん勉強になります」とのこと。
ルーツを愛する音楽家たちの姿が
地元・長岡で生きるマインドをくれた
長岡で生まれ育った伊部さんは、大阪と東京を経てUターンした。「いつか長岡に」と考え続けてきた理由のひとつに、伊部さんが大切にしてきたルーツへの思いがある。
「私の好きなミュージシャンは、みんな地元を大切にしているんです。ボブ・マーリーならジャマイカ、アフリカや南米のミュージシャンも伝統文化を大切にした上で音楽をやっている人が多いです。私もルーツを大切にしたいし、帰れるなら地元で暮らすほうがカッコいいなと。マヌ・チャオというフランスのミュージシャンが『地球の裏側の革命を心配するのもいいけど、自分の町内のゴミを拾え』というようなことを言っていて、“Think Globally, Act Locally”(グローバルに考えてローカルに行動せよ)ということですが、どんなに世界のことに詳しくなっても、地元を知らなければ根っこがない木のように、もろくて倒れやすいのだと。そんな考えがずっと頭にありました」
伊部さんは現在40代。地元はJR長岡駅近くの町、四郎丸だ。公立の小中学校から県立長岡高校へ進学し、卒業後は大阪外国語大学で学んだ。どんな子ども時代を過ごしていたのだろう。
「ボーイスカウトで毎月のように東山でキャンプをしてました。中2の夏休みにイギリスでの大会に参加し、イタリア、スイス、フランス、イギリスでトータル3週間。それが最初の海外でした。漫画『YAWARA!』の影響で柔道部に入ったけど、スポーツは好きじゃなくて地味な中学生でしたね。それで、アピールする手段としては勉強だ、名前が上位に載ればモテるのでは? と思いました。勉強は嫌いじゃなかったけど、英語が特に好きというわけでもなく、強いて言えば英語という感じ。高校でも最初は柔道をやったけど、膝を傷めて軽音楽部に入り、前からやってみたかったバンドを始めました」
音楽への関心が芽生えたのは、小学生のころに聴き始めたラジオと神社の盆踊りがきっかけだったという。
「盆踊りで民謡に興味を持ち、そこから世界の民謡、特に北欧の民謡の要素を取り入れたデスメタルとか、アイルランドの音楽にも関心が広がり、よくラジオを聴いていて。昔は駅周辺にレコード屋があって、高校時代は『夢屋』という中古CD屋でメタルと民族音楽のCDを漁ってました。そういう話ができるクラスメイトと教室の隅っこでメタル談義をして、バンドでPANTERA(アメリカのメタルバンド)のカバーを演奏して。ギターを弾き始めたけど、先に始めた上手い奴がいたので、私は絶叫ボーカルでシャウト(笑)。しかし高校時代もモテない黒歴史で、ほとんど記憶がないくらい。とにかく早く長岡を出たいと思ってました。冬の寒さと雪がね……。そして、大学デビューをするわけです」
音楽という入り口から北欧の文化に関心が広がり、進学したい大学が絞られた。
「国公立では日本唯一の北欧語学科が大阪外語大学にあり、北欧が好きという一心でここだと。合格してデンマーク語を専攻しましたが、1年くらいしてデンマーク語は役に立たないことに気付きました。デンマーク人400万人の9割は英語をネイティブ並みに話せるので、デンマーク語しか通じない人は40万人くらいしかいないんです。当時はインターネットがないから教科書でしかデンマーク語に触れる機会がなく、次第にやる気がなくなり、大学でも軽音サークルでバンドに没頭してギターとベースを演奏してました。Black Sabbathのコピーとか、やはりメタル。メタルはモテないことがよくわかったので、メロコアに転向しましたが、大学に行かなくなって進級できず、留年してから留学したんです。留年はいいですよ、友達が倍になるから(笑)」
そして伊部さんは大学を休学し、デンマークではなくアイルランドに飛んだ。
「大阪外大は 4年で卒業する人が少なくて、みんなどこかへ行くんです。留学か、留年か、休学か。じゃあ自分も行くか、それなら英語を学ぼう、ケルト音楽も好きだったからアイルランドに行こうと。ダブリンの語学学校に通い、最初の3ヶ月はホームステイをして。そのあとアパートを借りようとしたけど借りられず、中国人の家に転がり込みました。1部屋に二段ベッド2つ、床に2人寝て、リビングにも10人。気が付くと人数が増えてる(笑)。英語ができない人もいて、漢字を書いてコミュニケーションを取っていました。アイルランド生活が始まったころ、友達から『なんて呼ばれたい?』と聞かれ、ツタのIvyも兼ねて『IB』というニックネームを使い始めたんです。ホームステイ先のおばちゃんには『アイビーは女性の名前よ』って言われたけど(笑)」
英語に浸かり、好きだったアイルランド音楽はもちろん、アフリカ、カリブ海、東欧の音楽も満喫し、ダブリンでの1年弱が終了。帰国して大学に戻ると、就職を考え始めるタイミングだった。
「英語を使う仕事がいいなと思い、英語の先生か旅行会社。その2択でしたね。いつか長岡に帰ることも考え、英語の教職課程を履修して母校の中学校で教育実習もしたけど、単位が足りなくて。旅行会社に採用され、東京勤務になりました。その会社は長岡支店もあったから、そのうち長岡勤務になればいいなという気持ちもありました」
人生を変える大きな事故を経ても
自分の世界を広げる心は止まらず
大手旅行会社に就職が決まり、2003年の春に入社した伊部さん。アフリカ、南米、東南アジア、中東などを担当する部署に配属され、1年目から旅行の添乗員として各地に出張、最初の海外は夏に行ったスリランカだった。続いてイラン、メキシコという予定だったが、秋に訪れたイランで思いがけぬ事故が起こった。
「イスファハンで宿泊したホテルの屋上が天窓になっていて、お客さんが屋上に行くかもしれないと思って早朝に見に行ったんです。天窓の上に乗った途端にガラスがバリンと割れ、4階くらいの高さから転落しました。頚椎を損傷し、イランでは手術ができないと言われて。ドバイに行くかパリに行くか選択を迫られましたが、『とにかく東京に帰りたい』と言って交渉し、1ヶ月後に帰国しました。イランの病院ではずっと寝ていて、持って行ったUAとソウル・フラワー・ユニオンのCDを聴き続け、日本の音楽に助けられました」
九死に一生を得て帰国した伊部さんは、都内の病院で手術をして4ヶ月入院。埼玉県のリハビリテーションセンターを経て長岡に戻り、しばらく実家で療養することになった。手足に麻痺が残り、車椅子生活が始まったが、家でじっとしていたわけではない。運転補助装置のついた自動車を得て、車椅子バスケやラグビー、水泳、筋トレに挑戦したり、車で家族の送迎をしたり、大阪へ一人旅、フジロックフェスティバル、サマーソニックといった音楽フェスに出かけたりと、アクティブに過ごした。どこまでも自分の世界を広げようとするその姿勢に、車椅子を「可能性が狭まること」に結びつけてしまいがちな非当事者の思考がいかにステレオタイプなものであるか思い知らされる。
「フジロックには1998年開催の第2回(※東京・豊洲での開催。第3回以降、現在の新潟・苗場へと会場を移した)からほぼ毎回参戦しているから、行かないという選択肢はなかったですね。初めての場所でも『なんとかなるだろ』と思って出かけます。段差や坂があるとか、エレベーターがないとか、行ってみないとわからない。やってみないとわからないから、いつも当たって砕けろ(笑)。困ったときは誰かが助けてくれるし、なんとかなるもんですよ」
事故の翌年にブログを始めた伊部さん。車椅子で訪れたフェスやライブハウスのバリアフリー状況について、移動ルートやトイレなどを観察して発信し、フジロックの公式ファンサイトにも寄稿した。CDレビューやライブのレポートもブログにアップしていたところ、東京でDJをする人の目に留まり、彼が主宰するワールドミュージックパーティー『Salud!!』で一緒にやらないかというオファーが届いたのだ。そして2007年、新宿のラウンジバーで伊部さんはDJ IBとしてデビューした。
「バンドをやってた者からすると、『DJってどうなの?』という気持ちもありましたが、やってみたらすごく楽しくて。歩けなくなったことより、指が動かず、楽器が弾けなくなったことがショックだったけど、DJ はCDを入れ替えて再生するだけ。また音楽で発信できてうれしかったし、車椅子の自分に声をかけてくれたことが驚きで、『Salud!!』の仲間たちには本当に感謝しています」
この間、伊部さんは休職中だった会社と交渉し、人事部と面接を重ねて復職を果たしている。このまま長岡でのんびり暮らすのもいいかと逡巡しながらも決断し、事故から2年ほどが経過した後、再び東京へ拠点を移した。
「まずは住まい探しが大変でした。段差がなくエレベーターがあり、バリアフリーにすることを許可してくれる物件が見つからなくて。何度も長岡から東京に通ってようやく見つけて改装し、引っ越しました。職場に温かく迎えていただき、新宿、秋葉原、錦糸町のオフィスに車で通勤して法務・広報、旅行商品のウェブ販売などを担当しました。在籍した7年間、いろいろあったけど会社にはお世話になりました」
伊部さんが長岡にUターンしたのは2010年のこと。いつか戻ろうと漠然と考えてはいたが、長岡の知人から『ぜひ手伝ってもらえませんか』と声がかかり、それを機に帰郷して転職した。そして敬愛するミュージシャンたちのようにローカルに行動すべく、伊部さんは長岡で新しいプロジェクトに着手する。
「東京にはなんでもあり、都会の人混みや毎日が祭りのような雰囲気は大好きだけど、田舎には田舎のよさがあり、自分でつくって遊ぶDIYのおもしろさもある。遊べるところがないなら自分たちでつくろうと友人たちと話し、東京の『Salud!!』でやっていたことを長岡でもやってみようと、ワールドミュージックを楽しむイベントを始めました」
2012年、高校時代のバンドのメンバーや音楽好きな友人たち6、7人で、「SunDay Jump!Group」を結成。仲間にもDJデビューを促し、長岡駅前の「カフェ食堂BONBON」やライブハウス「音楽食堂」で世界の音楽と文化に出会うイベントを開催した。
世界各国の民謡、ジャズ、レゲエ、ダブ、ロック、デスメタル、ゴスペル、沖縄民謡……。越後長岡が一大拠点であった伝統芸能「越後瞽女(ごぜ)唄」を継承する「葛の葉会」も、『SunDay Jump!』に何度か招いた。「葛の葉会は本当に素晴らしい活動です」と伊部さん。
長岡に戻ってからも東京で『Salud!!』に参加し、国内最大級のワールドミュージックフェス『スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド』でもDJとしてプレイしてきたが、『SunDay Jump!』が長岡で拠点としてきた店がそれぞれの事情で閉店。40代になったメンバーたちも多忙になり、活動は休止状態に。伊部さんは現在ソロで活動しているが、隣の小千谷市が中心で、長岡市内で定期的にDJができる場所がないという。来年くらいからまた長岡でも再開したいと考え、交渉に奔走中だ。
「小千谷市の『祭る』では、片貝の自然環境や時間帯をイメージしてプレイリストを作りました。音楽は空気の振動ですが、空間を変える大きな力がある。最適な音楽を届けたいから、イベントが持つストーリー、関わる人たちや会場を研究しています」
自分の中にあるものをつないで
望む生き方を手繰りよせていく
伊部さんは、アオーレ長岡で毎年開催され、今年10周年を迎えた『アフリカンフェスタ!in ながおか』の実行委員でもある。
「アオーレが完成し、そういうイベントが始まるらしいという噂を聞いて、ちょうどDJをやれる場所を探していたので、『フェスにはDJが必要ですよね? アフリカ音楽に詳しいので、ぜひやらせてください』と実行委員会の代表で映画監督の小林茂さんにメッセージを送ったんです。音楽をかけてお酒でも飲みながらのんびりやれるかな、と思っていたのに、事務仕事がたくさんまわってきて、忙しくてDJをやる時間もないという(笑)。その後、仕事は分担してもらって、いまは主にウェブサイトの更新とCD販売をしています。長岡でアフリカに関われる機会は貴重だし、たくさんの出会いもあり、楽しく続けていますが、スタッフの高齢化が進んでいるので、若い人たちに運営に参加してもらえたらいいですね」
どこでもアクティブに、軽やかに車椅子を走らせる伊部さんだが、はたして長岡の環境は車椅子にとって適切なものなのだろうか。
「駅前に関していえば、アオーレは地下に車を止めてエレベーターで上がれるから最高です。ただ、冬場は車椅子での移動がけっこう大変で、大手通のアーケードとアーケードの切れ目に雪が積もると通れません。大雪が降ってしまうと、バリアフリーという言葉はもはや意味がないけれど、せめて交差点の雪がどけてあるとうれしいです」
環境としては決して100点とはいえなくとも、伊部さんにとっては長岡がルーツのある地元であり、活動のフィールド。日々を生きることの喜びも、描いていきたいこの先のプランも、このまちの風景とともにある。
「ランドセルを背負って歩いていた通学路を車で走っていると、故郷に帰ったんだなと思うし、地元の変化も感じて小さな喜びもあります。『世界のお茶の間Ivy』がオープンしてしばらくコロナ禍が続いていたから、まだそんなにイベントもやれていませんが、もっといろいろやっていきたいですね。住宅地で大きな音は出せないけど、トークイベントとか、レコード鑑賞会とか。いまは『SunDay Jump!』のメンバーが忙しいので、イベント運営に関わってくれる人やこの場所を使ってくれる人がいたらぜひ声をかけてください」
最後に、今後のことについて訊いてみると、伊部さんらしい答えが返ってきた。
「英会話カフェも英語教室もDJも、すべてライブ。45分とか60分とか、持ち時間の中でセットを組んで準備して、生徒や聴衆の反応を見ながらどの技を出すか考えます。教室には小6から高1の子どもたちが来ていますが、それぞれの興味あることを調べておいたり、語ってもらったり。一緒に楽しく遊んで学ばせてもらっています。英会話カフェには70代の方もいて、どちらも楽しくて、ずっと続けたい仕事です。合理的なこと以外のことも積極的にやっていきたい。文化というものは、理にかなっていないことも多いものですから。そして、いつかDJとしてフジロックに出たいです。なんせモテたいですからね。基準はカッコいいかどうか、どうしたらモテるのか。子どものころからそれしか考えてないのに、なかなか……。いまは子どもとマダムにモテてますが(笑)、今後もモテが課題です」
周囲の人々と音楽に支えられ、大きな力を得てきた伊部さんは、自分自身が楽しむために、その楽しさを誰かと分かち合うために、自ら動き、好きなことを手放さず、その結果としてここにいる。
「縁がつながったというか、自分でつなげるものなのかなと。自分の中にある使えそうな糸をすべて手繰って、手繰って、手繰り寄せて自分でつなぐ。そうすると、その中から自然につながっていくものごとも出てくる。音楽と英語と、自分が使えるものをひとつに集約して、ようやくそれが始まったということなんです」
豊富な知識とセンスが発揮される音楽イベントも、ゆったりと居心地のいい英会話カフェも、伊部さんの中に同居している世界だ。心の赴くまま各地を旅し、生活し、そしてルーツの地である長岡に戻った伊部さん。その生き方は私たちの視野を広げ、自分の中にも存在するはずの世界の豊かさに気付かせてくれる。伊部さんの旅はこれからも続き、「世界のお茶の間Ivy」と開拓中の活動拠点で、きっとまた新しい世界を見せてくれるだろう。
Text: 松丸亜希子 / Photo: 池戸煕邦、松丸亜希子
世界のお茶の間Ivy
住 所
新潟県長岡市長倉1-51-3
英会話Ivy
世界のお茶の間Ivy=2024年9月10日(火)・24日(火)14:30〜15:30/キャラメルママ=2024年9月29日(日)14:00〜15:30
※予約不要。最新情報をXでチェックしてお出かけください。DJとしての活動はIBのXで発信しているので、そちらもぜひチェックを。
世界のお茶の間Ivy X
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