「ほぼ日ハラマキ」の仕掛け人に聞く、ヒット商品を生むブランディングの極意
白倉さんの事務所へ潜入!
1月某日、長岡市内にあるコンサルタント会社・プラグノーツの事務所を訪ねた。
「遠いところご苦労様です」と、にこやかな笑顔で迎えてくれたこの方が白倉重樹さん。長岡市栃尾地域出身の40才。新潟大学工学部卒業後、2001年に家業である白倉ニットに入社した。
「もともと家業に入るつもりはなかったのですが、当時は超就職氷河期だったので……(笑)。入社してすぐに『10年で辞める』と宣言したんですよ」
100年以上の歴史をもつ繊維業産地・栃尾にある白倉ニットは、編み工程を得意とする。白倉さんが入社した当時は、先細りする業界の中で販路を開こうと試行錯誤していた時期だった。
新たな挑戦「ほぼ日ハラマキ」
仕事は製造現場のエンジニアをメインに、商品開発や営業など広い業務を自ら望んで担当することに。
「何か新しいことを始めなければ!」と焦る思いから、大学を卒業したての白倉青年が目をつけたのは、糸井重里氏が手がけるWebサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」だった。まだサイトが立ち上がって日も浅い時期で、現在と比べてコンテンツは少なかったが、サイトのファンだった白倉さんは無我夢中で糸井氏に「一緒にセーターを製作しませんか?」と熱い想いを綴ったメールを送った。
「実は会社にパソコンがなかったので、私物のパソコンで送ったんです。当時はメールなんて友達と遊びのやり取りにしか使わなかったから、うっかり署名欄の自分の名前がニックネームの『ハシレトノサマ』になっててね(笑)。そのまま送信したことに後で気づいたんですが、意外にも糸井さんが面白がってくれて、東京の事務所に呼んでくれたんです」
「トノサマくん」と糸井氏に気に入られ、企画会議に意気揚々と参加した白倉青年。熱いプレゼンテーションを終えた後、糸井氏から出た言葉は「うん、ハラマキ作ってみようか」という予想だにしなかったひらめきだった。
これまでハラマキを作ったことはなかったが、白倉青年に「ノー」という応えはない。すぐさま原料を調達して、開発に取り組んだ。そして、ほぼ日のデザインチームとやり取りをしながら、わずか4ヶ月後には販売の日を迎えることとなる。
完成した「ほぼ日ハラマキ」は、販売期間1週間で約4,000枚を売り上げる快挙を達成。白倉青年が入社半年後にとってきた大仕事は、新しい試みに困惑したスタッフに初めのうちこそ理解されにくかったものの結果的には社内で一目置かれるようになったそう。
2001年から始まった「ほぼ日ハラマキ」は好評で、現在もなおデザインや機能性を変えて進化を遂げ、好調な販売を保っている。
「ほぼ日ハラマキを作ってみて、視野が広がりましたね。ニットに使われる素材に、もっと興味が湧いてきたんです。そこで入社6年目に新潟大学大学院に通って、無機材料学の研究をすることにしました」
平日は仕事、土日は大学で研究というハードな日々を送ることを決意した白倉さん。工学博士の学位を取り、セラミックなどの素材に関する知識を深めた。そして2007年、多様な個人クリエイターが集う東京のコラボレーション・シェア・スタジオ「co-lab」に参加。デザイナーやアーティストなど幅広いジャンルのクリエイターと交流を持つことで、ある画期的なアイデアが頭にひらめいた。
「ニットキャップカップ」の挫折で
学んだ教訓
白倉さん渾身のアイデアとは「ニットキャップカップ」というデザインフェスティバル。購入者が自らキャップのデザインをして発注する完全オーダーメイド で、しかもデザインしたキャップはWeb上にて誰でも購入でき、売上があればデザインした人に報酬として還元されるという新しい商品だ。ユニークな試みは注目を集め、東京インタラクティブ・アド・アワード受賞も果たしたが、結果として売り上げは思うように伸びなかった。
「SNSが普及していなかった当時、自らデザインをする顧客が少なかったのが敗因。マーケティングの知識不足でした。商品とアイディアに自信があっただけに、挫折を味わいましたね」と白倉さん。SNSの時代である今は自分でデザインをしたものを公開してそのリアクションを楽しむという「参加型」の企画がかなりスムーズに成立しうるが、その時点ではまだまだ一般への周知手段がなかったのだ。
しかし、この経験を無駄にはしない。宣言通り10年間で白倉ニットを退社した後、2010年に国際大学へ入学して経営学を学び、MBAを取得。大学卒業直前には、現在運営するプラグノーツを立ち上げ、企業の新商品開発をサポートする事業へと舵を切った。
医学的エビデンスのある靴下
「ケアソク」をブランディング
現在白倉さんが関わる商品開発の中で、注目なのがこちら。同じ新潟の加茂市にある老舗靴下メーカー山忠の「ケアソク」だ。「ととのえる」「うるおす」「あたためる」の3種類があり、それぞれの機能性を特化させた商品で、大学教授と共同研究開発した科学的エビデンスがあり、健康効果がデータで証明されている。 例えば「ととのえる」シリーズでは、浮き指をおさえ、5本の足指を適正な位置に戻す「インナー5 本指」、ゆるんだ足幅(そくふく) を補正する「横アーチサポート」、 歩行時のかかとへの衝撃を吸収する「かかとハニカムクッショ ン」を採用。本来足が持つ自然な機能をととのえることで、衰えた足のアーチをサポートしてくれるのだ。
実際に履いてみると驚き!まるで地面をつかむように歩くことができ、足全体が包まれているような履き心地。五本指編みなので1本1本の指を動かしやすく、かかとのクッションが衝撃をサポートしてくれる。
「私の仕事は『お客さんを作る、つかまえる』仕組みを作ること。ブランディングは新旧問わず顧客との関わり全てを指す大事な概念で、ターゲット層の明確化、Webサイトデザイン、販売ルートなど、クリアにすべき項目が様々あります。その中で意識しているのは『お客さんに感動体験を積み重ねてもらう』ということですね」
例えば、健康寿命を延ばしたいと考えている方にとって「ケアソク」は画期的商品となるだろう。外反母趾や巻き爪など痛みの原因は、足のアーチが衰えたことによる現代病で、靴やインソールでは解決できなかった悩みがソックスで解決できるかもしれない。
山忠の商品は、確かな品質にファンが多い。全国放送のテレビ番組で紹介されることも度々で、思わず口コミで広めたくなる魅力がある。この信頼感あるメーカーが手がけるソックスとあれば、顧客の期待感は高まるだろう。このように、商品を通じてお客さんの心を惹きつけ、少しずつ関係性を紡いでいくことを、白倉さんはブランディングと考えている。
全国各地の旬食材をお届け
「しらくらびん」
「ブランディング=お客さんとの関係性を紡いでいく」を発展させたユニークな企画も主宰している。全国各地の旬食材を届ける「しらくらびん」だ。
今の時季は、佐渡の祝(ほうり)さんが仕入れて捌く海の幸。寒ブリ、海そうめん、マンボウの胃袋、カワハギの肝など、地元でしか消費されない珍しい食材を届いてすぐ食べられるかたちで届けてくれる。ただし、発送は食材が手に入ったときのみと不定期で、大手ショッピングサイトのような日時指定はできない。
しらくらびんの仕組みはとてもシンプルだ。メールアドレスを登録しておけば、旬の美味しいモノ情報が届く。欲しいときには返信すれば良い。まるで親戚と手紙でやり取りするように、温かで気楽な交流がそこにはある。
しらくらびんを始めたきっかけについて、白倉さんはこのように語る。
「私がふだんお世話になっている方々へ、新潟産茶豆や日本酒など自分が本当に感動したものを送ったことが始まりでした。そうすると相手は、たしかに美味しいという体験となんだか悪いなぁという気持ちが残るみたいなんです。すると、次に会った時にその話題で盛り上がれるんですよね」
関係性を紡いできた人たちは「白倉さんありがとう」の気持ちが降り積もり、恩返しをしたくてたまらない。この心の動きがもとになって、白倉さん発の美味しいモノ便「しらくらびん」が誕生したのだ。
「私自身、全国各地のお取り寄せが好きなのですが、特にお気に入りは高知の文旦。毎年同じ農家から購入しているので、まるで親戚のように思っています。一度美味しい体験をすれば、次のシーズンも待ち遠しくなるもの。温かな関係性はWeb上でも作れるものですね」
新商品開発の基本は
「それを喜ぶ人は他にいないか?」
を常に考えること
新商品開発というと何やら高度な戦略が必要のように思えるが、ここまでの白倉さんの活動を見ていると、「新しいお客様との関係性を温めていく」という極めてシンプルな原理にこだわっていることがわかる。
「まずは『商品を最大限に喜んでくれる人』は誰かを想像するんです。言葉、時間、距離の壁を取り払えば、アプローチすべき人たちが見えてきます。日本の地方は地域性を大事にすることで関係性を温めてきた印象がありますが、次のステップとして外側にいる人たちとの関係性を築いていくことを考えるのも良いかもしれません」
国際大学時代、外国人に囲まれて過ごしたおかげか、海外の友人が多いという白倉さん。仕事も兼ねて、たびたび世界各地を訪れている。現地旅行は友人にアテンドを依頼するため、観光では行かないようなマニアックなエリアにも足を踏み入れるのだとか。
常に広い視野を持って選択肢を広げておくことは、新商品開発の極意なのかもしれない。「自分のお客さんを増やしたいなら、まずは自分が本当に感動したものを素直に送ってみてください」と、取材終了後に冗談交じりのアドバイスもいただいた。あながち間違ってはなさそうだ。
ユニークで型破りな白倉重樹さん。彼の手にかかれば、これまで日の目を見なかった商品もスポットを浴びられるのかもしれない。
Text & Photos : Mariko Watanabe