物理から木工へ、富井貴志さんが伝える「作り手と器、使い手の究極の三位一体」
留学先のアメリカ・オレゴンで
木の魅力と理想の暮らしを知る
富井さんは新潟市で生まれ、その後すぐに移り住んだ小千谷市で幼少期を送った。中学校では陸上とクロスカントリースキーに没頭し、「入学時はトップだった成績がみるみる下がっていった」というが、最後は盛り返して長岡工業高等専門学校に進学。小千谷から長岡に通い始めた。
「小さいころから理科や算数が好きでした。高専では電子制御工学科という、いわゆるロボットを作るような学科で機械と電気を勉強して、ロボコンにも出てましたね」
長岡高専時代に富井さんは、その後の道を決める出会いをいくつか経験する。そのひとつがアメリカの物理学者、リチャード・P・ファインマンだった。
「2年生の夏休みの宿題に読書感想文があり、『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波現代文庫、上下巻)を読むようにと。1965年に朝永振一郎たちと共にノーベル物理学賞を共同受賞して『ファインマン物理学』(岩波書店、全5巻)などを書いた人ですが、すごくおもしろいと思って物理に興味を持ち始めたんです。それと、英語の先生が高専のスピーチコンテストに出ることを勧めてくれて。たくさん練習して英語も好きになりました」
アメリカに行ってみたいという思いが募った富井さんは3年生のときに高専を休学し、オレゴン州に留学。18歳で経験した1年間の海外生活で発見を重ねていく。
「ホームステイ先のお父さんが物理をやっていた人で、お母さんはフリーのテクニカルライターでMicrosoftの仕事をしていて、在宅で働いて月2回ほどワシントン州の本社に行くという生活。ちょうど1994年から95年でWindows 95が出るタイミングだったからMicrosoftが上り調子で、通っていた高校では普通にPCを使っていました」
オレゴン州は林業が盛んで、巨大な木材がトラックで運ばれていったり、船に積まれたり、そんなダイナミックな光景に富井さんは圧倒されたという。
「自然が豊かで、ものすごく大きな木に苔がびっしり生えていて。ホストファミリーの木の家にはオーブンにもなる薪ストーブがあり、こういうゆったりした暮らしはいいなぁと感じました」
帰国して高専に戻った富井さんは、ログハウスの雑誌を読みふけり、家の裏山で木を拾ってきてはバターナイフなどの小物を作り始めたという。そうこうしながらもトップクラスの成績を維持して高専を卒業し、筑波大学の3年次に編入した。
物理学研究と木工の分かれ道、
にわかに湧き上がった情熱
富井さんは料理好きでもある。目覚めたのは高専時代で、ひとり暮らしを始めた大学時代に鍋や包丁などの料理道具や器を集め始めた。
「農業のバイトをしていて、種まきしたり収穫したり。大学がある茨城県つくば市は笠間や益子が近く、バイト代で作家ものの陶器を集めていました。食まわりの道具が好きになり、料理を作って盛り付けて。そんなことばかりしてましたね(笑)」
大学院に進み、専攻していた物理学を究めて研究者になるか否か、その判断をするタイミングに差し掛かった富井さんは、ふと考えた。
「博士号を取ろうと思っていたけど、僕は研究室に入り浸れないタイプでした。ずっとあの空間に居られない自分は研究者には向いてないなと。高専時代、ログハウスの雑誌で岐阜県高山市の木工房オークヴィレッジのことを知り、代表の稲本正さんも大学で物理を学んでいて、彼が書いた記事を読んでおもしろいと思い、会社を訪ねたことがあって。木で小物を作り続けていたのですが、『ああ、木工がやりたい!』と思って大学院2年の3月にオークヴィレッジの入社試験を受けました」
ユニークな経歴が稲本さんの目に留まり、富井さんは木工職人の下積みをするために同グループの「森林たくみ塾」に入ることになった。大学院を辞め、木工の世界に身を投じることに迷いはなかったという。2年間の修業を経てオークヴィレッジに入社した。
「ところが、生産管理に商品開発、全体の企画などを任され、作ることはほとんどやっていなかったんです。『作家になって好きなものを作り、好きなように暮らしたい。あのアメリカのホストファミリーのように』そんな思いをずっと抱えながら4年ほど経ち、31歳で独立しました」
オークヴィレッジで家具の設計をしていた深雪さんと結婚し、2008年にふたりは滋賀県の信楽に移住。築100年の古民家で新しい暮らしが始まり、廃園となった保育園舎を活用して工房を構え、富井さんの作家人生が幕を開けた。
当初はオーダー家具を作っていた富井さんだったが、制作を始めて2ヶ月後に出展した『クラフトフェアまつもと』で、たくさんの店から声がかかったそうだ。
「その半年後に千葉県市川市で開催されている野外展覧会『工房からの風』に出展してさらに声がかかり、お世話になっていた陶芸家の清水善行さんの紹介でライターさんが取材に来てくれて、雑誌にも載って。独立して数ヶ月で軌道に乗り始めました」
冬の「白」を求めて故郷・新潟へUターン
関西での活動は7年続き、その間に3人の子供たちが誕生して富井家は少しずつ賑やかになっていった。2015年に一家は新潟県長岡市に移住。その理由を聞いてみた。
「やはり雪。白い色が好きで、それがないともの作りができないんです。自然が近くにあり、四季がはっきりしていて、冬になると雪がすべてを隠して世界が一変する。小中学校の部活でクロスカントリーをやっていたから、ずっと雪に親しんでいて、その感覚が自分の中のベースとしてあって、いつか新潟に帰りたいと思っていました」
「あるべき姿」が自然に出来上がる、
目指しているのは「本質的なこと」
筑波大学で表面物理学を研究した富井さんだったが、顕微鏡で覗き見た世界が現在の作品に生かされているという。
「寄っていくときれいに原子が並んでいる。普通の光学顕微鏡では見えないけど、特殊な顕微鏡で見ると1個1個の原子が識別できて、とても美しいんです。それを作品に再現できないかと考えました」
「いま表面について話していますが、僕がやりたいのは『本質的なこと』なんです。まっすぐ行って、ここで曲がって……というような模様を彫刻刀で彫っていて。すごく単純なことをしているのですが、単純作業の繰り返しが勝手に模様として出来上がり、自然とあるべき姿になっていくという『自己組織化』、それが実に本質的だなと。グルグル回る原子の構造を発見したら模様が複雑になり、めちゃくちゃおもしろくなってきました(笑)」
「模様が自然に出来上がる世界」と富井さんは語る。それは民藝運動の父・柳宗悦が説いた、目に見えない大きな力でそうなっていく「他力性」にも通じる。
「僕はこれを作ろうとして作ったわけではなく、なにも考えずに出来上がった。航空写真でも似たものを見たことがあるけど、単純さの繰り返しで生じる複雑さなので、違ったスケールでも類似するものが見つかります。多様化といっても、人も、ものも、みな原子でできていて、大差ない中にちょっとした違いがあるだけなのだと思います」
「白漆彫模様大皿」には、いまの富井さんの思想が投影されているかのよう。この皿のように漆をマットに仕上げると光が乱反射され、模様が際立つのだとか。「これを彫っているときは無に近い状態。意識が入ると本質から離れるから。ただし、いくつかの単純なルールは加えていいと思っているので、進化していく予定です。これを見て『富井くんがやろうとしていることが初めてわかった』と言ってくれた人もいます」
使う人がいて初めて完成する、
人と人、人とものの理想的な関係性
じっくり時間をかけて丹念に作り上げられた富井さんの器。もったいないと感じて、つい飾ったり、大事にしまい込んだりしがちだが、富井さんは「ぜひ日常的に使ってほしい」と望む。
「作る人がいて、木という素材で作られたものがあって、そこに使う人が加わる。『使う』という行為で三者がひとつになって完成する、それ以上分けられないものに一体化した状態がいいなと。その究極な状態に、人と人、人とものの理想的な関係性が築かれていく。実はそこにこそ『美』があるのではないかと思っているんです。だから、飾ってないでどんどん使い倒してください」
「いいものがありますよ」と言って富井さんが見せてくれたのは、古ぼけた2枚の皿だった。
「完成度の高いものを作ると、素材と作り手が近くなりすぎて使い手が入りづらい。少し完成度を下げたほうが究極の状態になりやすいのではないかと思うし、使えば使うほどよくなる伸びしろのあるものを作りたいんです。使っていくと、このように別のものになっていくので、その変化を楽しんでもらえたら。使うものを作っている以上、そこを目指したいし、それが醍醐味かな」
三位一体の究極の状態を意識してもらうのが重要な仕事であり、それを積極的に伝えていきたい、と富井さんは熱弁する。
「使っているうちに僕が彫った模様も消えていくんだけど、残るものもあって、器を受け継いだ人が『この模様はなんだったんだろう』なんて考えてくれる。そうなったら最高ですね」
そんな富井さんの哲学が詰まった作品が生まれる工房にお邪魔し、制作風景を見せてもらった。
工房の仕事は9時から17時まで。毎朝8時30分から3人で朝礼をするそうだ。まず今日の予定を話し、月曜、水曜、金曜は富井さんが、火曜と木曜はアシスタントの設楽さんが話をする。
「そのとき興味を持っていることなどを30分ほど話します。雑談から入って、ものづくりの本質に結びつける。どんな話題でもいいので、ものづくりに引き寄せて話すトレーニングみたいなもので、僕が昨日話したのは“こんまり”さんの片付け術(笑)」
「これまでやってきたことがすべて結びついてきて、いろいろなことがすごく楽しい。いま、キてるんですよ」と笑う富井さんに、木の魅力とはなんなのか、改めて聞いてみた。
「いまも陶器は好きだけど、自分の作品も含め、どんどん木器が好きになります。軽くて熱伝導率が低いという機能性ももちろんあるけれど、木はやはり生き物で、変化しやすい。究極の形に近づきやすいところが最大の魅力」
作家も変化し、作品も変化していく。1976年生まれの富井さんは今年43歳。早くも巨匠の片鱗をのぞかせているが、年を重ねて50代や60代になったとき、なにを思い、どんな作品を手がけているだろう。
「テンションが上がるから、つい予定をたくさん入れてしまう」という個展を追いかけ、最新の富井さんが生み出す器に触れ、惜しみなく使っていきたい。器の変化と作家の変化を楽しみながら。
Text: Akiko Matsumaru / Photos: Hirokuni Iketo
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