離れていても、心はそばに。コロナ禍で孤立する学生を支えた人々と「冬の長岡花火」の恩返しの話
2021/2/18
長岡で活動したい若者を応援するため設立された「ながおか・若者・しごと機構」にとって、昨年から続くコロナ禍は、これまでにない挑戦の日々でした。あらゆる人々が困難と戦う中でも、機構は「未来のために学びを続ける学生が少しでも健全で快適な生活を送れるように」と学生支援にフォーカスを絞り、「長岡市学生応援プロジェクト」と名づけて、さまざまなかたちで支援をしてきたのです。
はじめは県外でひとり暮らしをする長岡市出身の学生へ向けた特産品の送付から始まり、その輪は市外から市内へ引っ越してきた学生に向けたプログラムへと発展。多くの学生へのサポートにつながりました。支援は一方通行にとどまらず、長岡市からの想いを受け取った学生らが「なにか恩返しをしたい」と立ち上がり、クラウドファンディングを実施。恩返しプロジェクトと題して、2021年2月に行われる「長岡雪しか祭り」で恩返しの長岡花火が打ち上がることとなりました。
地元を離れてからも若者たちを応援してきた長岡市と、受け取った学生たちによる恩返し。双方がどのような想いを抱いて今回のプロジェクトが立ち上がったのか、それぞれにお話を伺いました。
人材育成は長岡の屋台骨
長岡市が、10年・20年先のまちの活力を維持し、人口減少社会に対応するために策定した長岡版総合戦略「長岡リジュベネーション~長岡若返り戦略~」の推進役として、2015年12月に設立した「ながおか・若者・しごと機構」。
今回話を伺ったのは、代表理事を務める羽賀友信さん。機構は他に副代表理事と、市内で活躍する40歳未満の理事12名で構成されています。大きく(1) 若者のアイデア実現、(2) 若者同士の交流創出、(3) 若者がいきいきと働く場づくりの3つの役割を担っています。
もともと国際協力の専門家として紛争地を中心に66カ国を飛び回り、難民問題に取り組んできた羽賀さん。JICAのアドバイザーもしており、グローバルな視点でローカルなものを見るというスタンスで、長岡市内外のさまざまなプロジェクトに携わっています。長岡の学びと交流の拠点「まちなかキャンパス長岡」の学長でもあり、愛着ある長岡の教育にこれから更に尽力していきたいと語ります。「僕らは“オーガナイザー”を育成したいんです。つまり、誰かがやるのを待つのではなく、誰もやらなきゃ私がやるという気質の人を増やしたい。長岡は戊辰戦争で賊軍にされたとき、食べるものもままならない中で、他藩から送られた米を食べずに売って学校をつくりました。それは現在のためだけに生きるのでなく、将来を見据えてなすべきことをしていけるようにとの想いからです。そこでは侍や商人、農民らが垣根を越えて協力しあい、世界に羽ばたく多様な人材を育成してきました。人材育成は、長岡の大きな背骨です。
長岡では日本の天然ガス産出量の4割を生産していますが、これは東山油田開発が長岡の明治維新後の復興の目玉になり、市としても工業に力を入れていこうとした結果です。1962年に全国に一期校として12の高専ができたときに、その一つとして長岡にも高専ができました。それから新潟大学工学部が移転したので長岡技術科学大学をつくり、デザインの部分を担う長岡造形大学ができました。エンジニアリングに特化した人材を育成することによって、工業の時代を先取りする産業をつくってきた。教育が長岡を支えてきたんです」
「ひとりじゃないよ」のメッセージを届けたい
そんな中、世界を襲ったコロナ禍。県外で一人暮らしをしているもののアルバイトもままならず経済的に困窮していることもさることながら、授業もオンラインになり、友人と集まったり実家に帰るのも難しい中で孤立感や不安を覚えているであろう学生を応援しようと、機構は「長岡市学生応援プロジェクト」を立ち上げました。第一弾は長岡で生まれ育ち、進学でふるさとを離れた学生へ地元の米や特産品を送付。このような支援の取り組みは今回がはじめての試みとのことですが、長岡市は大学4校に高専1校、専門学校は15校と、市の規模の割には数多くの教育機関を擁しているため、市外に学びに出た学生らはもちろん、逆に長岡市に学びに来た学生からも、さまざまな情報が届きました。
「新生活への期待を胸に大学に入学したものの、土地勘はない、知人はいない、授業もないと状況で心が病みそうだという声を聞くようになりました。長岡の人はつながりを大事にしますから、『応援しているよ』『ひとりじゃないよ』というメッセージをどうにかして届けられないかと思ったんです」
地元を出て都会で一人暮らしをはじめるとなると、生活パターンも価値観も変わり戸惑いも多く、そこに未知の感染症の影響が重なり、不安な日々を過ごした学生は多いことでしょう。そのような状況のなかで「故郷と自分がつながっている実感に勇気をもらった」といった反応もたくさん届いたとのことです。JA越後ながおか、JA越後さんとうが「ぜひ協力したい」とコシヒカリを快く協賛してくれたのをはじめ、多くの地元企業の協力によってこの特産品詰め合わせが実現しました。2700人超もの学生につながった支援
県外で頑張る出身学生たちに特産品を送った第一弾の次には、市内で学ぶ学生への支援も。こちらは、同じように特産品を送るのではなく、有償ボランティアの依頼という形をとりました。せっかく長岡で暮らしているのだから孤立することはあってはならないと、新しいつながりが生まれるように16のボランティア事業を立ち上げ、参加のお礼に長岡市共通商品券を渡しました。これまでに165人の学生が参加し、信濃川のクリーン作戦や、「長岡 米百俵フェス」のPR協力、博物館の草刈りなどを行いました。地域の新しい側面を知ってもらうと同時に、自分の居場所を見つけるきっかけになってくれればとの想いでプロジェクトを設計したそうです。
「コロナで一番まずいと思ったのが、居場所がなくなること。それは同時にアイデンティティの喪失にもつながるので、自信もなくすし病みやすくなる。とにかく、学生たちを孤立させないという考えからプロジェクトを推進してきました。特産品を送る際も、食料品にプラス、U・Iターン関連のポストカードや、市長からのメッセージも送っています。単に物をあげるだけでなく、人と人としてつながることが最優先なので、その気持ちがが伝わるような詰め合わせにしました。」
長岡市学生応援プロジェクトの支援を受け取った学生は、総数で2700名を超えました。「とても助かった。長岡で生まれたことに誇りを感じる」「帰省できず寂しかったので、地元と繋がれて嬉しい」など、学生からの喜びの声も続々届き、さらに市内の人たちから受け取った気持ちを行動で返そうという、学生たちの自主的な動きも生まれ始めました。学生らが自ら立ち上げた「【学生企画】長岡市恩返しプロジェクト」もその一つ。「みんなの想いを2021年の空に」というテーマでクラウドファンディングを実施し、2021年2月20日の「長岡雪しか祭り」で花火の打ち上げを予定しています。残念ながら2020年は戦後初の中止となってしまった長岡まつり大花火大会ですが、長岡の花火はもともと単なる年中行事ではなく、「復興の願い」を込めた花火。恩返しに花火を打ち上げることは、長岡の人々に勇気を与える意味合いも持つのです。多くの温かい気持ちがこもった花火を打ち上げるために、「ながおか・若者・しごと機構」は関連企業を紹介したり、後方支援をしました。
「長岡の街の大半を失った1945年8月1日の長岡空襲からの復興祭としてはじまったのが長岡まつりであり、現在の長岡花火。長岡花火は鎮魂に平和祈願、そして2004年の中越大震災からの復興祈願へとつながってきたものですから、ストーリー性が非常に高く、私達の心の支えになっている。2020年の夏は苦渋の決断で中止となり、私たちも大きなショックを受けましたが、だからこそ『長岡雪しか祭り』で花火が打ち上がるのは、なおさら大きな意味を持ちます」
「豪儀(ごうぎ)であれ」が長岡の合言葉
長岡市が「ながおか・若者・しごと機構」を通して若者を支援する背景には、どのような想いがあるのでしょうか。羽賀さんに、メッセージとともに伺いました。
「日本海側にある尼瀬は世界最初の海底油田開発ですし、長岡出身の外山脩造は、輸入ビールに負けない純国産ビールをつくったアサヒビールをはじめ様々な企業を設立し、日本の資本主義の土台を築くのに尽力している。そうしたフロンティアスピリットが長岡にはあるような気がします。長岡弁では豪儀(ごうぎ)という言葉がありますが、これには『自分を貫いている人』という意味もあります。『常在戦場』という山本五十六がよく使った言葉もありますが、これからの時代に備えて学び、生き抜くために学問があると思うので、学生のことは積極的に支援していきたいですね」
今回のプロジェクトに、豪儀であれという学生へのメッセージを込めているという羽賀さん。学生を応援する背景には、自分を貫き、新しいフィールドを開拓していくオーガナイザーとして育ってほしいとの熱い思いがありました。
機構では現在、実家が長岡市内にある高校3年生に向けた長岡市学生応援プロジェクトを実施中。詳しくはこちらのリンクをご覧ください。(申込みは3月7日まで)
https://n-wakamonokikou.net/05/05-kou3.html