ふるさとの味「かぐら南蛮」を未来へ——“種を継ぐ人”の教え(後編)
2017年6月6日 畑への定植
6月に入ってしばらくすると、「畑に来てください」と青木さんから電話をもらい、緑あふれる山古志を訪れました。例年は5月下旬に苗を植えるのですが、この年は春先の長雨と、その後続いた低温の影響で6月に入ってからの定植作業となりました。
青木さんの軽トラの後ろについて、くねくね山道を通り、畑に到着。黒マルチをかけた畑には、すでにかぐら南蛮の苗が植えられています。
かぐら南蛮は続けて同じ畑で栽培すると土地が痩せ、「連作障害」が出てしまうため、毎年畑を変えながら作らなくてはなりません。「この辺は山だから、土地が少ないでしょ。狭い土地で毎年つくる畑を変えなくてはいけないのは大変なんだ」と青木さん。
青木さんが体調を崩されてからは、畑仕事はもっぱら奥さんの仕事。雪ソリに苗を積み、引きずって移動しながら、黒マルチに穴を開けた場所にテンポよく植えていきます。この畑には、約500本のかぐら南蛮の苗が植えられます。
苗の中には、最初にできる実である一番果や、その次の二番果ができているものもあります。かぐら南蛮の一~二番果は大きくなっても美味しくないそうで、小さいうちに摘み取ります。出荷されるのは四番果くらいから。来年用の種採りをするのも四番果くらいが一番良いそうです。出荷は7月10日頃からはじまり、霜が降りる10月末まで収穫ができます。1本の苗からは60~70個もの実が収穫できるそう。500本あれば少なくとも30,000個も収穫ができると思うと、驚きです!
比較的育てやすいというかぐら南蛮ですが、青枯(あおがれ)病・立枯(たちがれ)病といった病気の予防や、「タバコガ」「ウラムシ」といった虫の駆除は必須。
「病気が出ると全滅の恐れもある。病気が出た木は、土ごと捨てなければいけないんだ。山古志では気をつけていればちゃんと育つけれど、それ以外の場所だと不思議と育たない。新潟大学の農学部が新潟市で育てたことがあるのだけれど、あっという間に枯れてしまうそうだよ。なぜかはわからない。でも俺は、魚野川から立ち上ってくる朝もやが関係しているんじゃないか?と思っているけれど、どうなんだろうなぁ」(青木さん)
続いて、「ジジイの秘密の場所だ」と言って、対向車が来たらすれ違えないような山道を奥へ奥へ。
鬱蒼とした森の中を行き、進入禁止のロープの先にあったのは、種採り用のかぐら南蛮を栽培している場所。
四方を森に囲まれた場所に一畝だけかぐら南蛮が植えてあります。なぜこんなところに隔離しているのかというと、かぐら南蛮はピーマンやトウガラシと「交雑」しやすく、なんと、半径2kmくらいであれば自然に交雑してしまう可能性があるそう。そのため、山の上の四方を森に囲まれ、近くに他の人の畑がないところで、種採り用のかぐら南蛮を作っているのです。
今、山古志で農協へ出荷用のかぐら南蛮の種を出しているのは青木さんただ一人。そして、その種は「地域外には売らない」という、まさに門外不出の種なのです。
2017年8月1日 実り
「収穫の時期になったらまた連絡します」と別れたのですが、7月に入っても青木さんからの連絡がありませんでした。7月中旬、こちらから青木さんに電話をすると6月中頃から体調を崩し入院をしているとのこと。
収穫は奥さんがしているとのことだったので、畑の様子を見せてもらいました。
植えたときには、ほんの小さかった苗も、腰の高さを超えるほどに成長。よく見るとたくさんの実をつけています。
ガッチリとした実の形こそ「かぐら南蛮」の特徴です。
一本の苗にこんなにも実がなるとは驚き!霜の降りる時期まで実がなり続けます。かぐら南蛮と言えば、この緑色で売られるのが長岡では一般的ですが、中には赤いものもありますよね? 赤い実は品種が違う訳ではなく、かぐら南蛮が熟したもの。
ほら! 赤く色づいてきている実がありましたよ。
出荷用のかぐら南蛮は青いままで、収穫。種採り用のかぐら南蛮は、真っ赤に熟してから収穫します。赤く熟した実は、病気にかかりやすいそうで、育てるのが難しいのだとか。なので、青いうちに収穫するのが一般的です。
ただし、種採りをする実は赤く熟すまで木につけたままにしておきます。外見がなるべくゴツゴツして横に広がったものを種と利用に選んで残します。そうすることで、山古志地域ならではの形質が受け継がれていくのです。植え付けの時に青木さんは、「ゴツゴツした実から採れた種でも、翌年はヒョロっと長い形の実もできる。それも同じ苗にゴツゴツしたのと、細長いののが両方できるんだ。不思議なもんだよ」と、おっしゃっていました。
山古志自慢のかぐら南蛮は、2つに割った断面もぐわっと迫力ある般若面をしていました。その辛さから、「素手で調理しないこと」と注意を促す場合もあるのだとか。包丁を入れると目に染みるようなツンとした唐辛子の香りが台所に広がります。辛味成分は触れるとピリリと染みるほど!触った手で、絶対に目をこすってはいけません。
他の産地のかぐら南蛮は全体が辛いのに対し、山古志産は種と白いワタの部分が辛いのが特徴。なので、辛すぎるのが苦手なひとは種と、白いワタ、奥のスジまで取ると、爽やかな味を楽しむことができます。ここまでしっかりと取り除けばほとんど辛さはありません。辛さを加えたい方はワタを入れて調理すればOK。
料理の用途はさまざま。味噌と砂糖、みりんと炒めるかぐら南蛮味噌が有名ですが、山古志では昔からミョウガやナス、きゅうりなどと一緒に塩もみして和えただけのシンプルな“タタキ”で食べていたそう。「生で食べるの?」と驚きましたが、実際に試してみたところ、思った以上にスッキリした味に驚きました。
2017年8月29日 タネは未来へ
2017年8月14日。先人が繋いできた種を次世代に残し続けた青木幸七さんが逝去されたと連絡が入りました。癌と診断されても「俺は自然に任せるんだ」と積極的な治療をせずに山古志の地で土に足をつけた暮らしを選んだ青木さん。体調の優れない中、ご厚意で私どもの取材を受けていただいたことに感謝の言葉もございません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
最後まで種採り用のかぐら南蛮のことを心配していたという青木さん。「ジジイの秘密の場所だ」と言って連れて行ってくれた種採り用の畑からは、青木さんの奥さんと娘さんが、赤く色づいたかぐら南蛮を収穫して下さっていました。
実を割って、中から取り出した種を、一つ一つ紐で吊るして天日干しにします。ひとつにつき、約200粒ほどの種が取れますが、種はカビやすいので保存には最新の注意を払います。そうして冬を越えた種が、また来年も山古志の地で育てられていきます。
「山古志かぐらなんばん保存会」は、青木さんの後を引き継ぎ、星野京子さんが代表に就任しました。「会の皆が元気に、かぐら南蛮を作り続けていけるようにできればと思います。山古志のかぐら南蛮はスッキリした辛さが特徴で、大人から子どもまで楽しめます。青木さんが築いてくれた山古志のかぐら南蛮の産地を絶やすことなく守っていきたいです」とおっしゃっていました。
この土地にしかない山古志のかぐら南蛮は、これからもずっとこの土地で受け継がれていきます。
山古志のかぐら南蛮の保存に力を尽くされた青木幸七さんのご冥福をお祈りいたします。
Text & Photos : Yorimitsu Karasawa