作業は半日で終了、若者も続々参入!「大口れんこん」農家の豊かな働き方
2021/4/18
長岡市には、神楽南蛮や枝豆といった特色豊かな農産品がある。市内の大口地区で生産されている「大口れんこん」もその一つ。シャキシャキとした歯ざわりが自慢のブランド野菜だ。ほとんどが新潟県内のみで消費されているのにもかかわらず、年間売り上げはおよそ5億円。長岡市内で生産される野菜のなかでも、ダントツの売り上げを誇っている。
日本の農業全体が高齢化や後継者不足に苦しむなか、大口ではれんこん栽培に可能性を見出し、新規就農する若い人たちがいる。その背景には、れんこん栽培がもつ魅力に加えて、参入者を増やすための柔軟な受け入れ体制があった。農業をとりまく状況が厳しさを増す昨今、大口れんこんの一体何が若い人たちを惹きつけるのか。その手がかりを求めて、実際に農業を始めた若者たちと、長年れんこん栽培の仕組みを整えてきた「大口れんこん生産組合」の両者に話を聞いた。
2人の子を育てる女性が
れんこん栽培を始め、独立するまで
2年前に大口れんこんの農家に就業した中嶋果菜さんは、現在27歳。3歳と5歳の子どもを育てながら、フルタイムでれんこん栽培に取り組んでいる。
中嶋さんの普段の一日はこうだ。朝は家族の誰よりも早く起床して、夫や子どものお弁当をつくり、8時頃には田んぼに出勤。正午には作業を終え、帰宅したら朝ドラの再放送を見て休憩。16時前に子どもを保育園に迎えに行ったらご飯をつくって食べ、お風呂に入って、家族でゆっくりと時間を過ごす。そして22時ごろ就寝。ちなみに、朝子どもを保育園に送るのは、母親に任せている。
「れんこん農家に勤める前は、農業は相当きついものだと思っていました。確かに最初の1年は体力づくりに苦労しましたが、農作業は半日で終わるので、意外と時間には余裕があります。れんこん栽培は、子育てをしている人にもいいと思います」(中嶋さん)
中嶋さんは生まれも育ちも、長岡市の中之島。実家は米と野菜の兼業農家だが、れんこんは栽培していない。なぜ、中嶋さんはれんこんを栽培するに至ったのだろう。「夫が婿に来て、いつか二人で農業をしたいねと話していた時に、夫が大口れんこんのことを口にしたんです。言われてみれば、大口れんこんには“潤っている”雰囲気がありました」と中嶋さん。農業高校で食品加工を学んだのち、県立の農業大学校に進んで稲作の手法や経営学を身につけた中嶋さんは、早いうちから農業の道を意識していた。しかし、卒業後は農業と関係のない会社で会社員を経験。そして、すぐに向いていないと確信したという。「外で黙々と作業をするのが好きですし、農業に向いているタイプだったのだとようやく気づきました」。老後に就農してもよいと思っていたが、体力のある若いうちから始めて経験値を上げていこうと、会社員の夫より一足先にれんこん栽培に挑戦することにした。
まず中嶋さんが向かったのは、農業支援を行う県の機関である「長岡農業普及指導センター」。中嶋さんいわく「本気度を見られる」という少し厳しい面接を受けたあと、ひととおり研修を受けていくことになった。この受け入れ体制は、県と市、JAにいがた南蒲、そして「大口れんこん生産組合」が協働して、独自に構築したもの。まず研修生は、短期研修として4つの農家で2日間ずつ働く。そこで初めてれんこん栽培を経験することになるのだが、中嶋さんは作業自体の大変さは感じつつも、いい意味で予想を裏切られたという。「受け入れ農家のみなさんがすごく親切にサポートしてくれたからか、意外と大変ではなくて。こまめに休憩をとってくれるなどの気遣いがあたたかく、オープンな雰囲気を感じました」(中嶋さん)
その後、ひとつの農家にしぼってさらに1〜2ヶ月ほど実践研修を受け、2019年4月にその農家に就業。れんこんの植え付けから収穫まで、季節ごとの行程をひととおり実践し、2年間で栽培方法のベースを習得した。「自分のやり方でれんこんをつくってみたい」という思いから、なんと中嶋さんは、2021年3月に独立。現在8.5反ほどの田んぼを借り、自分だけで一からのれんこん栽培に挑戦している。長年の仕組みづくりが結実した
「れんこん専業農家」の強み
「たった2年の就農で独立するのは、かなり心配ですけどね。でも、やるって言うならしっかり面倒を見てやりたいと思います」と笑顔で話すのは「大口れんこん生産組合」の組合長である高橋秀信さんだ。高橋さんは、中嶋さんも経験した一連の研修制度を整えるなど、参入者が大口れんこんに取り組みやすい体制を長年かけてつくってきた。
そもそも、れんこん農家が専業農家として暮らしていけるようになったのは、平成になってからのこと。それ以前、大口れんこんは正月用の食材として年末にのみ大々的に売れるものであり、冬の間のわずかなシーズンにしか出荷されていなかった。つまり農家にとっては収入を得られる期間も短く、米などのほかの品目と兼業する人が多かった。そこで、高橋さんたち組合は早稲品種の「エノモト」と晩生品種の「ダルマ」を組み合わせる栽培法を確立。エノモトは8〜10月まで、ダルマは11〜3月まで収穫・出荷できるので、年間8ヶ月間は収入がある。「30数年前、大口で一番早くれんこんの専業農家になったのは、実は私なんです。れんこんの植え付けと収穫の時期は、ちょうど米の田植えと稲刈りにかぶって大変。米をやめて、れんこん一本にしたら、儲かった〜!(笑)れんこんは比較的収益性が高く、専念すれば技術も学びやすい。数年経験を積んで基本の栽培技術を身につければ、十分に暮らしていくことができます」(高橋さん)
現在、れんこん農家はおよそ70世帯、人数にすると100人以上。年によるが、大口れんこんの年間売上高は、およそ5億円。単純にこの金額を70で割って、ひと世帯あたりを計算してみると……。経費も多くかかっているだろうが、なかなかの金額だ。とはいっても、やはり農業の世界。れんこんもほかの品目と変わらず、もれなく高齢化や後継者不足に悩んでいるという。
「れんこん農家の親が病気になったりして、その子どもの40代、50代が毎年ひとりかふたりは新しく参入してきます。しかし、受け入れ態勢ができていなかった数年前までは、承継がうまくいかず、廃業することも多々ありました。また、『ちょっとれんこん栽培を体験してみたい』など、就農に関心のある若者がいても、今まで巻き込む機会がありませんでした」と高橋さん。先述の中嶋さんが体験した研修制度は今、そうした受け皿として機能している。「肝心なのは、最初はなるべく優しく教えること。間口を広げて、まずは興味を持ってもらいたいと思っています」。
参入者と受け入れ農家
双方への手厚い支援
3年前に研修制度が始まってから、15人ほどがれんこん栽培の体験研修を受けにきて、5人が就農、そしてすでに2人が独立した。これは、高齢化が進む農業の世界ではすごいことだと高橋さんは言う。少し前までは、即戦力にならない新規就農者をれんこん農家が受け入れることはできなかったからだ。
「人をひとり雇うとすると、年に数百万円は必要になりますからね。農家が収入を増やすには、基本的には田んぼや畑の面積を増やして収穫量を上げるしかない。農業の初心者に作業を教えつつ、さらにその増えた面積までを管理するというのはとうてい無理なのです」(高橋さん)
一般的に、新規就農は雇う側の農家の負担にもなり、就農者にとっても十分な賃金が得られにくいというリスクが伴う。そんな状況のなか、高橋さんたち「大口れんこん生産組合」は「長岡農業普及指導センター」と共に、県や市の補助金を活用する仕組みを作り上げた。今ある補助金は大きく分けて2種類。ひとつは、新規就農者を受け入れる側に対し、支払う給料の半分(上限月10万円・最大36か月)を負担する「技術習得又は経営継承 に向けた研修支援事業」。そして、もうひとつは新規就農者を直接支援する「新規就農者の技術習得支援事業」(県・市から合わせて年240万円・最長2年間、 ただし定められた期間就農することが条件)だ。
大口れんこん生産組合では、新規就農者への最初の給料は一律に20万円と決めている。ちなみに、作業は午前で終わるので、必要があれば午後からアルバイトや他の仕事もできる。新規就農者にとっては参入しづらい農業に挑戦し、給料を受け取りながら技術を習得できるメリットがあり、受け入れ農家には月10万円の負担で人をひとり雇うことができるという利点があるのだ。
「今まで大口では、人を雇ったことがない家族経営の農家がほとんどでした。しかし、研修制度を通して初めて“マネジメント”を経験しているのです。若い人たちだけではなく、受け入れる側にとってもよい影響が生まれています」と高橋さんは言う。
大口れんこん栽培を担う、若手農家のみなさんにお集まりいただいた。右の二人は夫婦で大口れんこん栽培に取り組んでいる、30代なかばの髙橋良太さん、20代なかばの育美さん。育美さんの実家がれんこん農家で、育美さんは4年前に介護職から転身して実家の農業に参画。良太さんも2年前に同じく介護職から農業に挑戦し、今まさに研修制度を利用しながら、育美さんの実家で研修中だ。「れんこん栽培は、自分のペースで仕事ができるところがいいです」と良太さん。左の二人は30代なかばの高橋和也さん(左)と30代前半の鈴木研人さん(右)。二人とも農業歴は10年ほどで、もう研修生を受け入れる側だ。「研修生が来ることにより、手順を教えたり、作業を指示したりする機会が増え、農業におけるマネジメントの重要さに気付かされています」と鈴木さん。世代を超えてバトンを渡す。
地域が一丸となってつくる好循環
2021年3月、独立という大きな一歩を踏み出した中嶋さん。これまで、自身のインスタグラム(@ asayake_shima_shima)でれんこん栽培の様子を発信してきた。雪のなかでの収穫作業や、田んぼのあぜ道をつくる「畦塗り」のこと、れんこんの花が咲いたこと、田んぼに可愛らしい小鳥がやってきたこと……そこには、農家としての中嶋さんの日常が、等身大に映っている。
「楽しく豊かな感じで農家を営んでいるというのが伝わったらいいなと思います。いま、コロナ禍で農業に目が向いていると感じるので、こういう生き方や選択肢があるということを知るきっかけになれたら嬉しいです。新潟で農業をして、こんなに豊かに暮らしていけるんだよ、ということを」(中嶋さん)
今の暮らしが楽しく、満たされていると話してくれた中嶋さん。農業をする上でどんなことにやりがいを感じているのだろうか?「実家が兼業農家なので、幼い頃から食卓にあったのは父や母が作った米や野菜でした。自分の家でつくったものはおいしい、そして食べものは大事だということを実感しながら育ってきたと思います。新潟は米をはじめとして、様々な美味しいものがありますが、知れば知るほど、元々豊かだったわけではないことに気づきます。お米だって『鳥またぎ米(鳥もまたいで通る=見向きもしないような米)』と揶揄されていた時代があったわけですし。それを昔の人が苦労して改良してきた長い過程があって、今がある。それは大口れんこんも同じです。秀信さん(高橋さん)たちが、何十年も取り組んできたからこそ、評価され、ブランド化した。それが後継者不足で失われてしまうのは、あまりにも惜しい。農業をしたいという人はあまりいないですが、私一人でもやり始めればちょっとは次世代への“つなぎ”になるかなと思って、農業を続けています」(中嶋さん)
中嶋さんの言葉からは、先人たちへの畏敬の念や、今の社会に必要とされていることをやろうと思う前向きな気持ちが感じられる。そんな中嶋さんをあたたかく見守り、独立後も全力でサポートすると意気込む高橋さん。2人の関係性は、なんだか微笑ましく、親子のようでもある。「若い人がれんこんを始められるのは、秀信さんが世話を焼いてくれるからというのも大きいです。ほんとに逸材……!と思っています」と中嶋さんは笑った。
高橋さんは、研修制度に加え、2年前から新しい取り組みを始めた。年配の方が管理できず、草だらけになったれんこんの田んぼを組合の若い農家が管理するという仕組みだ。若者は収穫の収益から管理費をもらう一方、その年配の方には“年貢”として販売利益が入る。こうした仕組みづくりで耕作放棄地を減らしつつ、今後の新規就農者のために田んぼを増やしているのだ。「5年後、田んぼは増えていて、今研修を受けた人たちが、きっと今度は次世代を受け入れる立場になっていると思います」と高橋さんは語る。若者と年長者が豊かな関係性を築きながら、大口れんこんの美味しさを守り、継承していく。そんなよい循環が、この場所で生まれていた。
*大口れんこん栽培の支援制度などについて知りたい方は、下記連絡先にお問い合わせください。
長岡市 農林水産部 農水産政策課 担い手育成係
電話0258-39-2223
Text & Photo:橋本安奈