【長岡蔵人めぐり 第8回】 困難を乗り越え、若手蔵人が活躍中! 新体制で酒造りに挑む「中川酒造」

2021.6.24

国内でも指折りの酒どころ、新潟県長岡市の酒蔵を訪れ、そこで働く人たちの素顔を紹介する本企画。市内の酒蔵16軒中、ちょうど折り返し地点となる8軒目に取材したのは、JR長岡駅から車で約30分、脇野町にある「中川酒造」。若い蔵人たちが奮闘する姿が、そこにあった。

「普通酒なのに高精白」が特徴!
地元に愛されるお酒を目指して

明治21年(1888年)、中川酒造のある脇野町で大火事があった。当時は代々両替商を営んでいたという中川家が火事で全焼した酒蔵より醸造業を受け継ぎ、新しく再生させたのが中川酒造の始まりだ。

中川酒造では、水は蔵のすぐ裏手にある西山連峰から流れる清冽な地下水を汲み上げ、米は新潟県産米100%、しかも蔵人自らが育てた酒米を使用している。
特筆すべきは、普通酒でも酒造りに使う酒米の精米歩合が60%と高精白なこと。つまり、40%も米の周りを削っている。お酒は精米歩合が高くなるほど、つまりは磨けば磨くほど、香り高くなる傾向にあるが、削ればその分必要な米の量も増える。普通酒の一般的な精米歩合は70%で、吟醸酒は60%、そして大吟醸酒になると50%になる。なぜ中川酒造は、普通酒でも吟醸酒レベルの精米歩合にしているのか? その理由は、中川酒造の理念にあった。

上/中川酒造の醸造タンク。酒蔵内は、「明治蔵」「昭和蔵」「平成蔵」と分かれており、増築に増築が重ねられてことがわかる。左下/貯蔵タンクを覗き込むと、青く澄んだ西山連峰の伏流水が張っていた。仕込み水として使用している。右下/酒米を蒸すための和釜の「甑」。ボイラー式。

「飲み飽きない酒を地元の人に飲んでもらうというのが、昔からのモットーです。うちは地元消費率80%の、ほぼ地元オンリーの蔵元です」と話すのは、杜氏の佐藤友朗さん(トップの写真右)だ。中川酒造の代表銘柄「越乃白雁」は、淡麗な飲み口ながらもお米の甘みと旨みがきちんと感じられるきれいなお酒。しかも、甘ったるいのではなくとても上品なのだ。「つまみがなくても飲める酒、そして会話の邪魔にならないオールマイティな酒を造っています」と佐藤さんは言う。

左から、フレッシュでピリッとしたガス感のある「越乃白雁 純米吟醸『越淡麗』おりがらみ」、米本来の味わいが楽しめる「越乃碧 純米吟醸」、熱燗にしても美味しい「黒松 越乃白雁」、越淡麗を40%まで磨き上げて醸した「大吟醸しぼりたてKH40越乃白雁」。おりがらみとKH40は「にいがた酒の陣」の限定酒。

普通酒の「越乃白雁 黒松」は、2020年の全国燗酒コンテストで最高金賞を受賞した。「純米大吟醸にも力を注ぎますが、黒松や本醸造といった、昔から地元の人が飲んでくれている定番酒も、毎年少しでも美味しくしてやろうと工夫しています」。杜氏として酒の味は一任されている佐藤さんだが、定番酒の味を落とさないことだけは、前社長から口を酸っぱくして言われたそうだ。

生え抜き杜氏と「帰ってきた息子」
魅力的なふたりのキャラクター

前社長の中川雅史さんは、日本中を飛び回る中川酒造の宣伝塔として活躍していた。また、日本最大級の日本酒イベント「にいがた酒の陣」にて2回も実行委員長を務め、新潟県酒造組合の役員を任されるなど、新潟の日本酒界を盛り上げる大きな存在だったが、2020年夏、多くの人に惜しまれながら45歳の若さでこの世を去った。そして同年の秋、弟の佳彦さん(トップ写真左)が家業を支えるために中川酒造に参画したのだ。

佳彦さんの前職は介護で、日本酒に携わる仕事の経験はない。一から日本酒のことや中川酒造のことを勉強しつつ、この冬初めて一連の酒造りを経験した。「はじめての酒造りはどうでしたか?」と聞いてみると、すかさず杜氏の佐藤さんが「よく聞いてくれました!僕も聞きたかったんです」と優しく笑った。

「急なことだったので、相当悩みました。最初はスタッフや蔵人のみなさんが怖かったです」と佳彦さん。現在、清酒学校に通いながらお酒のことを勉強中だ。

「4ヶ月やってみて、これを習得したというのはまだ言えませんが、ただひとつ、お酒を造る人がどんな苦労をしているかが少しだけ分かりました」(佳彦さん)

10年にわたる介護の現場での経験から体力には自信があったが、想像以上の作業量と労力に驚いたという。酒造りが落ち着いてからは、得意先や新規の小売店などへ営業に行く忙しい毎日を送っている。

佳彦さん曰く、「外交的だった兄に比べて、自分は人付き合いも営業も苦手で全然タイプも違う」。しかし、蔵のなかを整理整頓し、働く蔵人の環境をよくするなど、内側を調整することはできるのではないかと考えているという。

上/杉の木でできた麹室。側面に張り巡らされた電熱線で温度調整している。左下/蒸した酒米を載せ、麹を振るときに使用する「箱麹」。右下/「入魂室」と書かれた標識のある部屋には、純米大吟醸を醸すもろみの貯蔵タンクが。今はオフシーズンのため使っていない。

杜氏の佐藤さんにとってもこの冬は苦しく、不安やプレッシャーを感じていた。
「迷いっぱなしでしたね。もはや何に迷っているかもわかりませんでした。自分は18歳の時からここで働かせてもらっています。昔は中川家のお母さんが蔵人の昼食を作ってくださっていて、蔵人みんなで本宅にお邪魔して食べていました。若い頃から家族の一員のように、中川家のみなさんに面倒をみていただきました。今は大変ですが、佳彦さんが帰ってこられたときは、蔵人のみんなで“よしきたぞ!”と嬉しく思いましたね」(佐藤さん)

佐藤さんは20年前、高校卒業後と同時に中川酒造へ入った。2年前から杜氏となり、今年2造り目を終えた。「私は酒屋の三男坊で、当時は就職氷河期。口を利いてもらったんですね。先輩からはかなり厳しく接されましたが、簡単にやめるわけにはいきませんでした」と佐藤さん。

佳彦さんと佐藤さんの掛け合いは、思わず「この酒蔵を応援したい!」という気持ちを湧き上がらせる。お酒の味はもちろん、ふたりの人柄も含めて、ファンがさらに増えていきそうだ。

作業のハードさに驚く佳彦さんに、「昔はもっときつかったですよ」と答える佐藤さん。「ピークの時は2、3日に一度は泊まりで番をし、家に帰れるのは1ヶ月のうち10日くらいでした。今は出荷量も相対的に減り、機械化も進んだので、そこまでする必要はないですが」(佐藤さん)

若き蔵人たちが挑戦する
新しい取り組みが続々

現在、蔵人の数は佐藤さんと佳彦さんを入れて5人。佐藤さんは38歳、佳彦さんも42歳と若く、5人中4人が30〜40代だ。他に、半日配達を担当する年配の方が1人いる。

純米吟醸などに使用する酒米「越淡麗」は前杜氏がすべて自ら栽培していたが、この流れもいまの蔵人が受け継ぎつつあり、来季からは、夏場は農業をしている40代の蔵人が作る米で酒を醸す予定だという。その蔵人にとっても、自分で育てたお米でお酒をつくることができれば、喜びもひとしおだろう。

酒蔵の応接間に飾ってあった言葉。「和の心は良酒を醸し、良酒は和の心を醸す」という意味。

また、中川酒造は新潟県内の酒蔵のなかでもいち早く醸造が難しいとされてきた飯米を使った酒造りに挑戦しはじめた。「コシヒカリ」や「新之助」などの酒はすでに商品化し、人気のライナップとなりつつある。

コシヒカリの旨味を引き出した、さらりとした辛口の「純米コシヒカリ」(左)と100%新之助で醸し出した無濾過生原酒の「純米吟醸 新之助」(右)。

さらには長岡造形大学の学生とコラボレーションし、新しいラベル制作にも取り組むなど、新企画も進行中だ。
困難を乗り越えながら、これからも若い蔵人たちが力を合わせて、新しい中川酒造の酒を造っていくのだろう。

これが長岡造形大の学生との協働で誕生した新ラベル。左が「黒松」の中取り部分と鑑賞会出品用の酒をブレンドした「翠松‐suisho-」で、右が季節限定酒の「夏始」。学生8人が酒蔵見学や蔵人への取材を半年間重ねてラベルや瓶の色などデザインを練り、26種類の提案から2案が選ばれた。

Text & Photo:橋本安奈

Information
中川酒造
[住所]長岡市脇野町2011
[電話]0258-42-2707
[URL]https://www.koshinohakugan.com

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