【長岡蔵人めぐり 第10回】「速醸造り」発祥の蔵! ブレない酒造りで地域に福を招くお福酒造

日本屈指の酒どころ、長岡市内の16蔵をめぐるこの企画。今回お邪魔したのは、東山山系の麓、豪雪地帯の横枕町にあるお福酒造です。明治時代に「速醸造り」と言われる醸造技術を開発し、日本酒の安定量産を可能にした伝説の人物、岸五郎が設立した蔵でもあります。日本酒醸造の近代化を進めたと言っても過言ではないお福酒造は、今どんなお酒を作っているのでしょうか。そして、時代の変遷に合わせて、どのように酒造りを変化させてきたのでしょう?杜氏の中野義一さんと、営業部長の坂詰陽一さんにお話を聞きました。

 

地元・山古志の人の食文化には
甘くて豊潤なお酒が合う

お福酒造のお酒の特徴は、甘口で旨味があり、お米の味わいが楽しめるところ。「旨みの乗った豊潤な味を貫くことが基本であり、飲むほどに幸福感を味わえる酒、存在感のある酒を追求する」ことを掲げています。

取材当日は「甑倒し」と言われる、仕込みシーズン最後のもろみの仕込みを終える日でした。酒米を蒸すのも今シーズンはこれで最後。昨年8月から続く仕込みも終わりに近づいています。

かつては「越後の酒」といえば、キリッと淡麗辛口が代名詞でした。しかし、現在は甘口でフルーティ、すっきりと飲みやすい日本酒が若い人を中心に人気を獲得しつつあります。営業部長の坂詰さんは「お福酒造の酒は、日本酒初心者でも飲みやすいですよ」と言います。

お福酒造に入社して30年、営業部長の坂詰陽一さん。醸造経験もあるスーパー営業マンです。

流行に合わせてすっきりした甘口を作っているのかというとそうではなく、お福酒造はずっと昔から、甘口の酒を造ってきました。理由は、そもそもお福酒造の酒は、近隣地域である山古志(やまこし)や蓬平(よもぎひら)といった中山間地に住む人たちに向けて造られており、その人たちの口に合うのが甘口だからです。

お福酒造で使用している酒米は「五百万石」「一本〆」「越いぶき」「山田錦」。山田錦以外は100%新潟県産米です。

「今や食文化はどの地域も似通ってきていますが、昔は、山古志あたりに住んでいる人は苦みのある山菜やしょっぱい漬物などをたくさん食べていました。そういう食べ物には甘口のお酒が合います。また、雪深くて寒い地域では燗酒をする人が多いのですが、お福酒造の酒は『燗あがり』*するんです。そのため、昔から晩酌など、食卓にのせるお酒として選んでもらってきました」(坂詰さん)

*燗あがり……お酒をあたためることで、旨みが増したりまろやかになって酒の美味しさがさらに引き出されること。

お福酒造から山古志へは、車で20分程度。いくつかのトンネルを抜け、坂を登って行くうちに棚田が見えてきました。

しかし、甘口の酒は会社としては醸造コストがかかるのだと、杜氏の中野さんは言います。日本酒の甘さや辛さを表す「日本酒度」という指標がありますが、これは数値が低く、マイナスに近づくほど甘いとされています。多くのお酒では+3〜5あたりが一般的なのですが、例えばお福酒造の人気銘柄「金撰」は+1から±0程度。酒を甘口にするには、米の糖分を残すために普通の酒より早めに上槽(じょうそう=もろみを絞る工程)しなくてはいけません。もろみは発酵が進むにつれ、酒米などが溶けてドロドロした状態からサラサラの状態になっていきますが、上槽が早いともろみに粒が残った状態で絞ることになるため、酒粕が多く出てしまい、取れる酒の量は少なくなります。つまり、お福酒造の酒は「お米を惜しみなく使った、コスト度外視の酒」なのです。

杜氏の中野義一さんは小千谷市出身。石川県、愛知県の酒蔵で働いたのち新潟に戻り、1980年にお福酒造へやってきました。

 

左/発酵中のもろみからお米の甘い香りが漂っていました。右/2004年の中越地震により醸造蔵と精米工場は倒壊。2007年に立て替えたため、醸造設備は比較的新しいものです。

 

中越地震以降いっそう深まった
地域の生産者たちとの繋がり

地域の人を喜ばせ、コスト度外視で酒を醸すのは、なぜなのでしょうか。それはお福酒造が古くから地域で果たしていた役割が関係しているかもしれません。酒蔵を訪れるとよく分かるのですが、とにかく敷地が広いことに驚かされます。お福酒造は代々大庄屋(地主)であり、かつては農耕に従事する多くの村人の生活を支えていました。その名残がうかがえるエピソードを中野さんが教えてくれました。

「昔(20年以上前)は、『洗いつけ祝い』『甑倒し(こしきだおし)祝い』『上槽祝い』『皆造祝い』などといって、酒造りの節目ごとに祝宴を催しました。広々とした母屋に隣近所や出入りさん(農家)、桶屋さん(大工)など地域の人を大勢招いて、盛大にお祝いしたものです」(中野さん)

お福酒造の創業者である岸五郎さんは明治時代に東京工業学校(現東京工業大学)で発酵学や醸造学を学んだ後、醸造技師として働きつつ、醸造用水の加工や酵母の培養を研究していた醸造研究者でした。その集大成として明治27年、「醸海拾玉(じょうかいしゅうぎょく)」という酒造りについての専門書を発刊。蔵には原本と復刻版が展示されています。「古い言い回しが難しいので、当時の酒造りのことがわかる人でないと読めないかもしれませんね」と坂詰さん。専門家のかた、ぜひ解読してください!

時代が経ても、地域の人との繋がりは健在です。それを象徴するのが、「お福正宗 山古志 純米吟醸」という一本。このお酒は契約農家が作る山古志の棚田米を100%使用しています。しかし、これを実現するまでには長い道のりがありました。

お福酒造の看板酒である「お福正宗」5種。左の二本は昔からある定番酒「上撰 本醸造」「金撰 無糖 普通酒」。給料日には、社員に金撰の一升瓶が支給されるとのこと。一番右はお福酒造のオーソドックスな純米吟醸酒である「純米吟醸」。そして、中央とその右が山古志の契約農家によって栽培された「五百万石」を100%使用した「山古志 純米吟醸」。ラベルは違いますが、異なるのは精米歩合だけで中央が70%、右が60%。70%のほうがより旨みがあります。

「山古志は錦鯉や牛の角突きが有名ですが、食べ物の特産品はあまりなかったんです。かろうじてコシヒカリは美味しいと知られていたんですが」と坂詰さん。そこでお福酒造は、山古志の酒米で特別な日本酒を作ろうと、1996年に山古志の生産者に声をかけ、酒米「五百万石」の栽培をスタートさせました。たった一軒の生産者から始まった酒米栽培ですが、参画する農家は徐々に増え、それに伴い生産量も増えていきました。

そんななか、2004年に中越地震が発生。山古志は甚大な被害を受け、全村避難となり、棚田米の栽培も継続不可能になりました。しかし意外なことに、この出来事によって、地元の生産者とお福酒造の交流は深まっていったと中野さんは言います。

「中越地震以降、以前よりも地元の生産者と米や地域のことを話すようになりました。それがきっかけとなって契約農家として手を結び、再度『山古志』に挑戦することになったのです」(中野さん)

農家さんは仮設住宅から棚田へ通い、田んぼの修復を進めました。お福酒造も大規模半壊で仕込み蔵を建て直して、3年後の2007年にやっと醸造再開。こうして「山古志」は悲願の復活を果たしたのでした。

蔵人は全員で5人。杜氏以外の蔵人は、全員20〜30代。左から杜氏を補佐する「頭(かしら)」である中山さん、室橋さん、杜氏の中野さん、小見さん。

 

頭の中山さんが、一袋30kgの酒粕を運んでいました。「重くないですか?」と声をかけると「飴玉をいじるくらい(楽なもの)ですよ」と一言。蔵人さんの力仕事により、美味しいお酒が飲めていると思うと頭が下がります。

 

出荷先は長岡市内がメインですが、最近は県外への出荷も増えているのだとか。

 

苦難を乗り越えてきた甘口の酒が
不安な時代に受け入れられる

坂詰さんがお福酒造に入社してから約30年。この30年でお福酒造や日本酒を取り巻く状況はどのように変化してきたのでしょうか?

「30年前は今のようにお酒に種類がなく、どこの家庭でも定番の晩酌酒が決まっていて、一升瓶が飛ぶように売れた時代でした。その後、一升瓶からお財布に優しいパック酒が選ばれるようになり、『経済酒』と呼ばれる合成清酒が流通していった時代もあります。しかし、ここ10年は醸造アルコールを添加していない純米酒が注目されるようになりました。安価なお酒をたくさん飲むと言うよりは、異なる種類を少量ずつ飲む人が増えていて、300mlやワンカップも人気があります。お土産にもちょうどいいですしね」(坂詰さん)

左/仕込み蔵の隣、屋外に置いてある巨大サーマルタンク。内容量はなんと54,593リットル!中越地震まではこの2つのタンクがフル稼働していたなんて、当時の日本酒の隆盛ぶりがうかがえます。右/2004年の中越沖地震で木造の仕込み蔵は大規模半壊しましたが、茅葺き屋根の母屋はなんとか守ることができました。

量はたくさん飲まないけど、いろんなものを飲み比べたいという人が増えているのかもしれません。

坂詰さんはここ数年、ヨーグルトリキュールや梅酒の製造(販売ではなく!)に力を入れています。営業担当が造るという点でもある意味レアなお酒です。少量ロットですが素材にこだわり、手作業で仕込んでいるのだとか。詳しくはこちらの記事で。
営業マンが手作りする“ある意味、幻の酒”。お福酒造のヨーグルトリキュール

また、興味深いことに、坂詰さん曰く「不景気のときは甘口の酒が売れると言われている」のだとか。辛口だとどんどん飲み進めてしまいますが、甘口だと少し飲んで満足感を味わえる、ということもあるのだそうです。ですが、多くの人が不安な思いを抱いている時代に、震災という苦難を経て人と人とをつなげてきた甘口のお酒が受け入れられているのは、もしかしたら飲み口の話だけではないのかもしれません。地元の人が喜ぶ味を貫いて造り続け、地域の生産者をサポートする。一本通ったお福酒造の酒造りを知れば、お酒が一層甘く、美味しく感じられそうです。

●Information

お福酒造
[住所]長岡市横枕町606
[電話]0258-22-0066
[URL]https://www.ofuku-shuzo.jp

Text & Photo: 橋本安奈

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